HIS浜坂・出石日帰りバスツアー体験記その2 但馬海岸グラスボート遊覧船

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「おはようコールABCで紹介されました!いくら・うに・かに身&神戸牛焼肉がのっけ放題食べ放題!グラスボートで海底遊覧・情緒溢れる城下町 出石を散策」ツアーの体験記その2です。

あこがれの山陰海岸ジオパーク遊覧船

昔からなぜか「奇岩絶壁」というものが好きで、「山陰海岸ジオパーク」にもとても興味があり、遊覧船で海から海岸線を見るのが楽しみでした。

ジオパークとは、地球科学的な価値を持つ遺産(大地の遺産、ジオヘリテイジ)を保全し、教育やツーリズムに活用しながら、持続可能な開発を進める地域認定プログラムのことです。

『ウィキペディア』

以前も山陰海岸ジオパークで遊覧船に乗るというツアーに参加しましたが、風が強くて波が荒く、湾内でカモメにかっぱえびせんをあげるだけという、悲しい結果になったことも。

昨日は運良く天気に恵まれ、奇岩絶壁など素晴らしい景色を堪能することが出来ました。

但馬海岸グラスボート遊覧船

今回のバスツアーで利用したのは、浜坂海岸(兵庫県美方郡新温泉町)から出航する、但馬海岸グラスボート遊覧船いわつばめ号です(定員64名×2隻)。

昨年3月に就航したばかりの、まだ新しい遊覧船でした。

関西に詳しくない方のために説明すると、但馬というのは兵庫県の日本海側一帯を指します。

リアス式海岸を中心とする東西約50kmの美しい海岸線が続き、断崖絶壁や奇岩だけでなく、洞門や洞窟も多く、海水もきれいなので、グラスボートが就航しているのでした。

遊覧船にはトイレが1つしかないため、近くにある山陰海岸ジオパーク館のトイレを借りましたが、やはり女子トイレは長蛇の列。

全員がそろうのを待って、いざ出航です。

所要時間は約50分で、私達の場合は、大体11:25~12:20くらいでした。

絶景を見るなら後部デッキ右側へ

遊覧船はグラスボートですが、船が航行しているときは、海底の様子はよく見えません。

ガラスの船底のある船室は、直射日光が遮られ、そこそこ涼しそうですが、やはり山陰海岸の絶景を見ようと思えば、ガラス窓越しでなく、直接眼で見て、感じることのできる後部デッキの、進行方向に向かって右側の席がお薦めです。

海岸線は進行方向に向かって右側にあるためですが、三尾大島に近づいたり、下荒(したあら)洞門をくぐるときは、左側の席がいいなと思います(ちなみに私達は左側に座っていました)。

でもお断りしておきますが、デッキはとにかく暑いのです、特にベンチの座面が。

お尻がやけどするかと思うくらいですが、絶景のためにはがまんがまん。

ライオン岩、クジャク岩、獅子の口など、数々の奇岩を堪能

浜坂の港を出港した遊覧船は、東へと進みます。

ごつごつした不思議な岩や、洞門が目の前に現れました。

下の岩(写真左)は、戦国時代、浜坂に芦屋城を築城する際、城主の塩冶(えんや)氏が、城の鬼門方向の岬に鬼神を祀ったところから、鬼門崎と呼ばれましたが、横から見た姿から、ライオン岩とも呼ばれています。

確かに左側斜面の緑の木々が、たてがみのように見えました。

下の洞門は竜宮への入り口と言われ、花崗岩を横切る帯状の断層破砕帯の模様(白い部分)が、竜が天に昇る姿に似ているところから、竜宮洞門と名づけられました。

下の写真は、白いクジャクが羽を広げたように見えるのでクジャク岩と呼ばれています。

赤黒い岩肌と、白い岩の流紋岩のコントラストや模様がとても美しいです。

下の岩は、溶岩が波によって浸食され、岩石に赤鉄鉱が含まれているため、「獅子の口」のように赤くなっています。

この岩は、まるでゾウが水を飲んでいるようで、様々な色の岩が、面白い絵を描いているように感じられました。

海底の景色はおまけ

竜宮洞門の近くで、お楽しみの海底探索です。

デッキで眺望を楽しんでいた人も、それぞれ船室に入り、ガラスの船底を見つめます。

晴れているので、エメラルドグリーンの海の水はとてもきれいなのですが‥。

残念ながら、あまり魚がいませんでした。

やっぱりサンゴや熱帯魚が泳いでいる石垣島辺りの方が、グラスボートには向いています。

山陰海岸ジオパークだから、海底に目を向けなくても、美しい断崖絶壁や奇岩の数々で、十分勝負できるのではないでしょうか。

ゆったり泳ぐ大きな魚や亀、きらきら光りながら群れて泳ぐイワシなどの姿が見えたら、もっと面白くなるかもしれません。

国の名勝および天然記念物・但馬御火浦(たじまみほのうら)

この地名は、漁火から由来するようですが、なんとも神秘的な名前です。

この辺りが、山陰ジオパークのちょうど中心になるそうです。

まず最初の見どころは、島が流紋岩の柱状節理でできているという三尾大島

間近で見る柱状節理はとても美しくて、触ってみたいくらいです。

そしていよいよ本日の遊覧ハイライト、下荒(したあら)洞門をくぐります。

下荒洞門は、波が穏やかな時にしかくぐることのできない、貴重な体験コースだそうです(くぐれる確率は年間で10%ほどだとか)。

今日は幸運にも、くぐることができました。

なんだかとてもワクワクしました。

この近くにはこのほかにも、もっと大きな釣鐘洞門や、岬の中央を貫通し、5月20日ごろから1週間だけ、洞門越しに朝日を見ることができるという旭洞門(下の写真)もありました。

またいつか行ってみたいです。

三尾に残る後鳥羽上皇伝説

1221年(承久3年)、承久の乱で敗れた後鳥羽上皇は隠岐に流される途中、ここ三尾の沖で遭難しかかったようです。

三尾の住民に助けられ、手厚くもてなされた上皇の歌が残されています。

思いやれ 憂き身を御火の浦風に 泣く泣く絞る 袖のしずくを

遊覧船のガイドさんは、「北条義時の陰謀で隠岐の島に流罪となった後鳥羽上皇」というように説明されていましたが、これは本当のところ、どうなんだろう?

どう考えても先に挙兵したのは後鳥羽上皇で、まさか朝敵となった北条義時に味方する者はいないだろうという、ものすごく楽観的な予測で行動したのが、敗北の原因ではないでしょうか。

まぁ元天皇だし、敗者は気の毒なものだけれど、北畠親房が『神皇正統記』で書いているように、承久の乱はやっぱり後鳥羽上皇が、それなりの戦争責任を負うべきではないでしょうか。

ちょっと北条義時がかわいそうだなと思いました。

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