大河ドラマで学び直せる日本史 島津斉彬さまの頭の中(『西郷どん』第4話)

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島津斉彬がついに薩摩藩主に!

『西郷どん』第4話では、やっと世界のKen Watanabe演じる島津斉彬さまが、薩摩藩主に就任しました。

新藩主になった斉彬さまの姿を見ることなく、西郷隆盛らの学問の師でもあった斉彬派の赤山靭負(ゆきえ)さんは切腹。辛いシーンでした。

『西郷どん』公式サイトより『週刊西郷どん語りもす!赤山靭負編 終わりは始まり

前回紹介したように、島津斉彬の薩摩藩主就任については、実の父親である島津斉興(なりおき)や、辣腕財政家の調所広郷(ずしょ ひろさと)が反対していました。

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2018.02.15

その理由は、曽祖父・島津重豪(しげひで)譲りの斉彬の「蘭癖(らんぺき)」。つまり蘭学大好きという彼の姿勢にありました。

薩摩藩が直面していた西洋列強の脅威

島津斉彬が蘭学に興味を持った原因の1つが、イギリスやアメリカ、ロシアなど、列強のアジア接近。

鹿児島沖でも、1837年に日本人漂流民7名を乗せたアメリカ商船モリソン号が接近し、異国船打払令に基づいて砲撃が行われています。

1840~42年のアヘン戦争で清国が敗れ、イギリスやフランスによる植民地化が進められたことも、斉彬には大きな衝撃でした。

下の写真は、斉彬が記したアヘン戦争の聞き書きです(鹿児島市照国神社の展示パネルより。以下写真は照国神社もしくは尚古集成館・仙巌園で撮影したものです)。

当時薩摩藩の支配下にあった琉球王国にも、異国船がしきりに来航するようになりました。

そうした時代状況の中で、藩主就任前の島津斉彬は、日本の植民地化を憂慮して軍事力強化の重要性を唱え、富国強兵、殖産興業をスローガンに藩政改革を主張していましたが、藩内では支出が増大することが問題視され、財政再建論と富国強兵論で藩論が二分される状況となって、藩主交替の際のお家騒動(お由羅騒動)に発展したのです。

父・斉興とのロシアンルーレット勝負に勝利して(あくまでもフィクションです)藩主の座に就いた斉彬は、長年温めてきた洋式工場の建設に乗り出すことになります。

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薩摩藩の近代化 集成館事業

それが、鹿児島市の磯地区に建設された近代洋式工場群。集成館です。

製鉄・造船・紡績に力を注ぎ、大砲製造や洋式帆船建造、武器だけでなく食品やガス灯も製造するなど、列強への防衛だけでなく、殖産興業にも力を入れていました。

大砲を製造しようと思えば、まず反射炉という強い熱で鉄を溶かし、大砲の鋳型に流し込む施設も作らねばなりません。

当然藩の資金を食いつぶしたため、斉彬死後にこの事業は縮小されましたが、1863年の薩英戦争でイギリス海軍と交戦した薩摩藩はこの集成館事業の重要性を改めて認識し、集成館機械工場や鹿児島紡績所(日本初の紡績工場)を建設しました。

現在この集成館は、尚古集成館として、隣接する島津家の庭園・仙巌園(せんがんえん)と共に世界文化遺産(明治日本の産業革命遺産)に登録され、多くの観光客でにぎわっています。

斉彬が集成館で製造したカットガラス=薩摩切子は、現在も鹿児島の名産品として広く知られています。

島津斉彬については、薩摩の近代化を進めたという功績の他、外様大名なのに幕府の政治に介入したいという信念を持っていました。これはすごい発想だし、当然敵視する人もいたわけです。

この話についてはまた後日お話ししましょう。

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