大河ドラマで学び直せる日本史 西郷と島津久光(『西郷どん』第22話)

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兄を尊敬していた島津久光

島津久光は、薩摩藩主・島津斉興(なりおき)と側室・お由羅の方との間に誕生。

斉興の五男として、島津一門筆頭の重富家の婿養子となり家督を相続しました。

もし、他の大名家に婿養子に行くことがあれば、彼の運命もまた変わっていたかもしれません。

次期薩摩藩主の座を巡り、兄の斉彬と対立する立場となってしまった久光でしたが、反斉彬派に担がれてしまったというのが実情で、実際の兄弟仲は悪くなかったようです。

久光は偉大な兄を尊敬し、兄同様、非常に学問好きでした。

ただ斉彬が蘭学を好んだのに対し、久光は国学を好みました。

久光もきっと平均以上の人物だったと思うのですが、斉彬と比較するとどうしても見劣りし、たぶんそれが無意識のコンプレックスになっていたのかもしれません。

久光 中央政界へ!

斉彬の死後、遺言により久光の子・島津忠義が新藩主となりました。

新藩主の後見を務めた父の島津斉興が死去すると、久光が「国父」(藩主の父)として、薩摩藩の実権を握ります。

久光は斉彬の遺志を継ぎ、朝廷・幕府・雄藩(勢力の強い藩)の政治的提携を目指し、兵を率いて上京します。

久光の立場はあくまでも公武合体の推進なのですが、「薩摩藩が討幕に踏み切る」と勘違いした尊王攘夷派の人々が京都に集結し、その中には西郷隆盛の弟、従道(信吾)や有馬新七など、薩摩藩の若者もいたのでした。

久光は京都で薩摩藩の尊攘派過激分子を粛清し、勅使を奉じて江戸へ赴き、幕府に政治改革を要求することに成功します。

これが「文久の改革」と呼ばれる一連の改革で、一橋慶喜や前福井藩主・松平春嶽の政界復帰が実現しました。

つまり久光も、やるときはやる!のです。決して能力は低くない。

西郷どんは扱いにくい部下

昨年の大河ドラマ『おんな城主直虎』では、城主就任直後の直虎さんが、反抗的な部下に悩まされていました(小野政次とか中野直之とか)。

今年の『西郷どん』だって、立場を入れ替えてみるならば、島津久光が生意気で反抗的な部下、西郷隆盛に悩まされる物語。

大体、奄美大島で潜伏生活を余儀なくされていた(ある意味左遷)西郷どんを、再び日のあたる世界へ連れ出し、活躍のチャンスを与えてくれたのは、島津久光や大久保利通だったのです。

だからやはりそこは、感謝の言葉があってしかるべきだと思います。

でも西郷どんは、そうしなかった。

兄の斉彬と久光を比べ、心無い発言(失言、放言)をしたのです。

久光の挙兵上京計画には猛烈に反対し、理由として、斉彬時代との政治状況の違いや準備不足を挙げた他、久光が無官であり斉彬に比べて人物的に数段劣り、「ジゴロ(田舎者)」なので京都での周旋活動は無理であると、面と向かって堂々と述べたのです。

助けてあげた恩も忘れ、自分のコンプレックスに火をつけたこの瞬間から、久光は西郷に悪感情を抱き、2人の長く深い確執が始まりました。

久光はここで「無礼者!」と西郷を手打ちにしてもよさそうですが、兄の斉彬が使いこなしていた西郷に「ジゴロ」と言われて手打ちにしたという評判が流れると、自分の器の小ささを証明しているようなもの。

久光はここはぐっとこらえ、西郷に下関行きを命じます。

そこでまた西郷隆盛は藩主の命令を無視し、自分勝手に行動するわけです。

島津斉彬は西郷について、「独立独行」の気性がある、つまりマイペースで自分勝手なことをすると評しています。

奄美大島の愛加那さんのもとに遺された西郷どんの毛髪を鑑定した結果、彼の血液型はB型だったとか。

私もB型なので他人のことはとやかく言えませんが、もう少し他人の気持ち(せめて島から出るために尽力してくれた大久保利通の気持ちくらいは)考えてもいいのかなと思いました。

史実の西郷隆盛も、若い時には困った点がたくさんあったのです。

大河ドラマで学び直せる日本史 薩摩切子と「意識高い」西郷どん(『西郷どん』第13話)

2018.04.14

今回の気付き

ドラマではどうしても主役を際立たせるために、脇役や悪役が必要なのですが、視点を主人公から脇役や悪役に転じてみると、また別の見方が出てきます。

島津久光と西郷隆盛の関係は、現在の組織にも、よく似た構図や事例が見られるかもしれません。

意見を堂々と上司に述べるのはいいけれど、相手の人間性を傷つけてしまわないようにしたいものです。

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