『麒麟がくる』ゆかりの地・安土1 JR安土駅から観音正寺 今はなき観音寺城主が斎藤道三の定説を覆す!

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JR安土駅 駅前の信長像と安土城風の駅舎

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』も、本能寺の変へ向けていよいよ大詰め。

最初は「信長にしてはちょっと丸顔」「イメージと違うのではないか」と心配していた信長役(私の理想の信長役は、あくまでも高橋幸治さん)の染谷将太くんも凄みを増して、大分違和感がなくなってきました。

その信長といえば、岐阜を思い浮かべる人もいますが、

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琵琶湖東岸に位置する、滋賀県の安土を思い浮かべる人も多いでしょう。

安土は2010年まで「安土町」でしたが、現在は近江八幡市と合併しています。

JR安土駅には、黄金ではありませんが、信長の像もちゃんとありました。安土城の築城を指示している姿らしいです。

そういえば「火天の城」という映画もありました(まだ見てない)。

ちなみにこのときの信長役は、椎名桔平さんでした。

駅舎外観にもびっくり! まるで安土城天守閣ですね!

安土で忘れてはならない観音正寺 西国三十三箇所の札所

2010年3年に安土を訪れた目的は、安土城見学の他、観音正寺という寺院に参拝すること。

観音正寺は西国三十三カ所の第三十二番目札所で、天台宗。

標高433mの繖山(きぬがさやま)の山頂南側の標高370m付近に位置しています。

この日は他にも立ち寄りたい場所が多かったので、タクシーで行くことにしました。

立派な仁王様がお出迎え。実は数年前(訪問時より7年前の1993年)、本堂や本尊などが失火で焼失してしまったのです。

御朱印帳の説明によると、この寺は人魚(前世は漁師)の願いによって建立されたのだとか。寺に伝わっていたその人魚のミイラも焼失してしまったそうです。見たかったな。

念願の御朱印もいただきました。

境内にあった「ねずみ岩」と呼ばれる巨岩。なぜこの名がついたのかな? どう見てもネズミには見えません。

幻の観音寺城と六角義賢(承禎)

昔はこの山に、近江の南半分を支配する六角氏の居城・観音寺城もありました。

月山富田城(島根県安来市)、七尾城(石川県七尾市)、春日山城(新潟県上越市)、八王子城(東京都八王子市)とともに、日本五大山岳城の1つに数えられているそうです。

織田信長も安土城を築城する時、観音寺寺を見本にしたとか。立ち寄ればよかったと悔やまれます。

ところで観音寺城主の六角氏ですが、戦国時代になると次第に衰え、六角義賢(よしかた)父子は足利義昭を奉じて上洛する織田信長と抗戦するも敗北してしまいます。

六角父子はこの城から逃亡し、観音寺城は無血開城。その後廃城となりました。

六角義賢といえば、出家して「承禎(じょうてい)」と名乗り、斎藤道三の父子二代による国盗りの来歴を家臣に語った手紙を残した人物。

この1560(永禄3)年付「六角承禎書写」が発見されたことで、『国盗り物語』に描かれていたような「一代で国を盗った斎藤道三」というイメージが覆ったのです。

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斎藤氏を嫌った六角承禎 義龍の父はやはり道三

この時期六角義貞は、北近江の戦国大名・浅井長政と対立していました。

長政の父・久政の時代、浅井氏は六角氏との闘いに敗れ、臣従を余儀なくされてしまいます。

臣従関係をはっきりさせるため、六角義賢は久政の嫡男に偏諱(へんき 貴人が授ける名前の一文字)を与えて賢政と名乗らせました。

しかし浅井賢政はこれに反抗。僅か15歳の若武者ながら、軍を率いて六角氏に勝利。

浅井の家臣も彼に期待し、久政を琵琶湖に浮かぶ竹生島に追放して、浅井家当主を賢政にしてしまいました(一種のクーデター)。

そして賢政は自分の名を幼名・新九郎に戻します。後に信長の妹・お市と結婚する際、信長から偏諱を受けて「長政」と名乗りました。

浅井氏の反抗に悩まされた六角承禎の嫡男・義治は、美濃の斎藤義龍との同盟を提案します。

しかし父の承禎はそれに反対。家臣への書状で斎藤道三の父・新左衛門尉(しんざえもんのじょう)の経歴や道三の悪事などを書いています。

そして義龍は「父の首を取った」と書かれていました。

『国盗り物語』でも『麒麟がくる』でも、義龍は実の父親を土岐頼芸(よりのり)と信じていましたが、やはり当時の人々からは、道三の子と思われていたようです。

斎藤義龍を土岐頼芸の子とする説は、江戸時代に生まれたとも言われていますが、真実はどうなのでしょうか。

もし道三が、子供たちを平等に愛していたら、悲劇は起こらなかったのかな?

大河ドラマ『麒麟がくる』では、斎藤家の人々(道三・義龍・帰蝶)に振り回されている明智光秀。最終回を控えて、また帰蝶さまの爆弾発言が波紋を呼んでいますね。

光秀は彼らのことをどう思っていたのか、知りたいと思いました。

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