松江神社に隣接する異空間  明治天皇宿泊のために建設された洋館・興雲閣

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なぜか松江神社の隣に洋館が!

2025年5月3日(土)、1泊2日で島根県に行ってきました。城下町松江のシンボル・国宝松江城を見学した後は、

城下町松江のシンボル・国宝松江城(後編)  天守閣に登ると構造が見える

2025年6月4日

城下町松江のシンボル・国宝松江城(前編)  ハーンが紹介した人柱伝説の残る石垣

2025年6月3日

天守閣に行く途中に見つけて気になっていた、二の丸跡に建つ松江神社にも参拝。

松江城二の丸跡に建つ松江神社  主祭神の松江松平家初代・松平直政とは

2025年6月5日

参拝を終えて神社を出る時、ふと神社の左隣に、不思議な建物があるのを見つけました。それは洋館! コロネードと呼ばれる列柱が、廻廊を形成しています。

今まで見てきた松江城天守閣や、石垣や、松江神社とは異質の空間。興雲閣(こううんかく)という建物らしいです。降り出した雨と、予想外の驚きで、建物の全景を撮影するのを忘れてしまいました。とりあえず雨宿りも兼ねて、建物の中へ。拝観料がいるのかと思ったら、無料でした。ありがたい。

小泉八雲は見ていなかった興雲閣

この建物は、松江市が松江市工芸品陳列所として建てた建物で、もし明治天皇が松江に来る際には、ここが宿泊所となる予定でした。1903年に完成したものの、翌年の日露戦争勃発で、明治天皇の松江行幸は実現しませんでした。しかし1907年に皇太子(後の大正天皇)が松江を訪れ、この建物に3泊しました。

1904年は、小泉八雲が東京で亡くなった年でもあります。彼はこの洋館を見ることはなかったのですが、伝統的な日本を好み、西洋化する日本を嫌っていた彼なら、きっとこの建物は気に入らなかったはず。見なくてよかった。

皇太子宿泊後、松江の迎賓館として使われていた洋館の内部には、ちょっとした売店やカフェもありました。

踊り場が印象的な階段を昇っていくと

広々とした、2階の大広間へ。

舞踏会が開かれても違和感のない空間。まさに「松江の鹿鳴館」かな。

皇太子が宿泊した貴賓室

2階の大広間に隣接して、貴賓室がありました。ここは皇太子(後の大正天皇)の御座所や御寝所になった場所。

建具やシャンデリアは、現存するものを修復して展示。

カーテンやじゅうたん、机やいすは当時のものが残っていないため、残された古い写真を基に復元されました。気品と重厚感が、ひしひしと伝わってきます。

こちらは、玄関車寄せ部分の2階にある、応接室兼拝謁所。皇太子はここで、色々な人と面会したのでしょう。

2階のベランダです。コロネードと呼ばれる列柱が、2階にも。ベランダからの眺めもいいです。

こういう建物が、城山公園にあることがとても不思議。なんだか映画のセットのようにも感じてしまいました。

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