2018年10月23日(火)、日帰りで松島に行くことができました。
平成の大修理で蘇る瑞巌寺
五大堂参拝の後、瑞巌寺(ずいがんじ)へ向かいました。
瑞巌寺は松島エリアで最も有名な寺院ですが、10年前から「平成の大修理」が行われ、2018年6月24日に、本堂の落慶法要が行われたようです。
だからまだ新しい、出来立てほやほやの建物もありました。
昔から名高い寺院だったため、沿道には土産物屋やレストランが並んでいます。
あの松尾芭蕉も、参拝したのだとか。
参道の杉並木は、2011年の東日本大震災で津波の被害に遭い、その後、塩害によって立ち枯れが目立ってきたため、約300本ほどが伐採されました。
ここにも震災の爪痕がありました。ここまで津波が来たそうです。遠くに見える蛇の目傘の存在理由が謎。
国宝の本堂へ!
落慶法要が行われて、まだ4カ月ほどしかたっていない本堂が、公開されていました。
瑞巌寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、本堂の建物外観は、京都の禅宗寺院(相国寺など)とよく似た感じです。
本堂内部は残念ながら、撮影禁止。
うっかり?撮影しようとする外国人観光客にも、僧侶の注意が飛びます。ここも、外国人観光客が予想以上に多くてびっくり。
内部は、金箔濃彩の「濃絵(だみえ)」と呼ばれる様式の絵画で、とても華やか。
法要などが営まれる部屋や、身分による控室の天井や襖絵の違いなど、なかなか面白く見ることができます(襖絵は複製)。
絵画もすごかったのですが、藩主の部屋である上段の間の隣に、さらに上々段の間があったのにはおどろきでした。
皇族や勅使をもてなすためだろうと言われていますが、大名(特に外様大名)が、勝手に皇室と接触しないように、幕府は目を光らせていたはずです。
幕府を倒そうとしたのかな? と、ふと考えてしまいました。
宝物館で見た、伊達政宗夫婦といろは姫の像
本堂の拝観を終えた後は、宝物殿の青龍殿へ。
ここも撮影が禁止だったのですが、見たかったものがありました。
それが、伊達政宗と正室・愛姫(めごひめ)、彼らの長女・五郎八(いろは)姫の像。
中世に衰えていた円福寺という寺を、5年の歳月をかけて現在の姿に復興させたのが、松島を領有する仙台藩主・伊達政宗でした。
伊達政宗の17回忌に、正室の愛姫が造らせた座像は、27歳の政宗の甲冑姿を描いたもの(朝鮮出兵の時らしいです)。遺言により、天然痘で失明した右目も、普通に描かれています。
近くで見ると、とてもりりしいお顔でした。
愛姫と、五郎八姫の像は、とても優しそうで、才色兼備の女性たちという印象でした。
3体とも初めて実際に見ることができました。よかったよかった。
伊達政宗が持ち帰った臥龍梅
中門から、本堂を外から見学することもできました。
外から見ると、建物の大きさがよくわかります。
外国人観光客には、鬼瓦が人気のようでした。
境内には、臥龍梅(がりゅうばい)という、紅白の梅がありました。
伊達政宗が、1593年に文禄の役で朝鮮へ出兵したとき、鉢植えにして持ち帰り、瑞巌寺の上棟の祝いの際、手植えにした梅だそうです。
臥せた龍のような、地面を這うような姿をしている梅です。大切にされているのが、よくわかりました。
洞窟遺跡群と鰻塚
松島の境内には、多くの洞窟がありました。
これは瑞巌寺の前身である、天台宗寺院・延福寺の時代に造られたともいわれ、江戸時代まで実際に使われていたようです。
瑞巌寺本堂の極彩色の濃絵と異なり、中世のムード満点。
洞窟内は塔婆・五輪塔・戒名等が無数に刻まれ、供養場として使用されていたことがわかるそうです。
古来松島は「奥州の高野」と呼ばれ、亡き人の供養が営まれた場所だったのですね。
そのためか、入り口近くに「鰻塚」もありました。
大漁で松島名物になった鰻がまもなく激減し、供養しなかったから減ったのだという意見があったので、1923年に建立されました。
今も毎年、5月13日に供養祭が行われているそうです。
松島と鰻は、今まで結びつかなかったけれど、持続可能な開発や観光のあり方について、鰻に限らず、考えることが必要なテーマだなと思いました。
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