桂離宮見学記 当日券で数寄屋造りの庭園と茶室を鑑賞

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阪急桂駅から、桂離宮まで徒歩約20分

上木屋町の料理旅館・幾松で昼会席をいただいた私達は、当日券で申し込んだ桂離宮へ。

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参観は15:30で申し込んでいました。

幾松の予約時間が12:45で、15分ほど早めに行って、食事をゆっくり食べていると、店を出るのは14:30頃になりました。

そこから四条河原町まで歩き、阪急で桂まで移動し、桂駅から桂離宮までひたすら歩きます。

桂駅から桂離宮までは20分ほどで、道標も出ており、わかりやすい道でしたが、日差しを遮るものがないため(木屋町通りのような並木道がない)、やはり暑い。

市バスも出ているのですが、本数が少ないようなので、歩いていくのが間違いがなさそうです。

参観者休所

15:10頃に整理券が配られた場所に到着し、入り口が開くのを待ち、「参観者休所」という建物の受付で、整理券と身分証を再び提示し、同行者は名前で確認を受けました(受付の時に全員名前を申請しています)。

身分証は社員証でもよさそうで、特に写真入りでなくてもいいみたいでした。

「参観者休所」にはトイレ(とてもきれいです)や自動販売機、ロッカーが完備しており、15:30までDVDを見て桂離宮の概略を学べます。

やがて15:30参観組の男性ガイド、小和田(こわだ)さんが登場し、注意点の説明を受けていざ出発。

桂離宮とは

豊臣秀吉が聚楽第で歓待した後陽成天皇の弟・八条宮智仁(ともひと)親王は、秀吉の猶子(ゆうし:親子関係を結ぶこと)となり、将来の関白を約束されていましたが、秀吉の側室・淀殿から鶴松が誕生するとこの関係は解消され、秀吉の奏請によって八条宮家を創設しました。

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造園の際に優れていた親王は、1615(元和元)年頃にこの地に山荘を造営し、簡素な中にも格調を保った桂山荘を完成させました。

あの真田信繁(幸村)が活躍した、大坂夏の陣(豊臣家滅亡)の年です。

八条宮家を継いだ智忠(としただ)親王は、加賀藩主前田利常の息女・富姫(ふうひめ)と結婚したため財政的な裏付けもでき、父の智仁親王譲りの美意識で、今日の桂離宮を完成させました。

桂離宮の庭園は日本庭園の傑作とされ、数寄屋(茶室)風を取り入れた建築様式(数寄屋造り)の代表的建築としても知られています。

桂離宮の見どころ

茅葺切妻屋根を、アベマキという自然木の皮付き丸太で支えている御幸(みゆき)門は、後水尾(ごみずのお)上皇(後陽成天皇の皇子で次の天皇)をお迎えするため造られたようです。

アベマキはコルク質が発達しており、門の柱を触ると、ほかの木と手触りが全然違い、コルクボードのようでした。

庭園の新緑が美しく、時折くちなしの香りがします。

苔を踏まないように、ガイドの小和田さんの後を注意しながら歩きました。

私達の一番最後からは、宮内庁の職員さんがついてきて、勝手な行動を取らないか、ちゃんと監視していました。

次に訪れたのは、島津家から贈られたソテツが植えられた山に面した外腰掛(そとこしかけ)

そこから飛び石沿いに山道を歩くと、突然池が広がってきました。

この池は、天橋立に見立てた石橋や中島、岬の灯台に見立てた石灯籠、荒磯を表現した石など、丹後の海を表現しているとか。

石橋を渡ると、桂離宮で最も格の高い茶室の松琴亭(しょうきんてい)です。

ここには竈(くど)構えがあって、簡単な料理ならここで亭主自ら作ることもできます。

青と白の市松模様のふすまが、とてもモダンでした。

さらに飛び石の道を進むと、庭園内で一番標高の高い場所に建てられた賞花亭(しょうかてい)に出ました。

ここは夏を涼しく過ごすための茶室で、「峠の茶屋」と呼ばれています。

賞花亭は1934(昭和9)年の室戸台風で倒壊し、翌年新しい材木で復元されました。

さらに進むと、横並びの6つの丸い下地窓が印象的な茶室・笑意軒(しょういけん)へ出ます。

持仏堂の園林堂(おんりんどう)が池を挟んで美しく見えました。

月を見るのによい位置にある茶室・月波楼(げっぱろう)は、部屋によって池の見晴らしがよかったり、池が見えなかったりと、趣向が異なっているのが面白く感じられました。

最後に訪れたのが、書院の玄関である御輿寄(おこしよせ)

4段の幅の広い石段を上がると、一枚岩の大きな沓脱(くつぬぎ)がありますが、6人の沓を並べられることから、「六つの沓脱」と呼ばれています。

1時間ほど、小和田さんの軽快な説明を聞きながら庭を歩いていると、知らないうちにとてもいい運動になっていました。

飛び石や土橋、石橋もあるので、できれば歩きやすい、滑りにくい靴の方がいいでしょう。

ガイドツアーが終わって、阪急桂駅に向かって歩く途中、桂離宮独特の「桂垣」に気づきました。

敷地東縁、桂川の堤防沿いに230メートルにわたって作られている垣根である。敷地の外側から見ると普通の生垣に見えるが、実際は、敷地内に生えている竹を、根が生えたまま無理やり傾けて竹垣の上に乗せ掛け、葉の付いたまま編み込んだものである。

『ウィキペディア』

説明を聞いていなかったら、絶対見過ごしていたでしょう。

自然をうまく利用する知恵に驚かされました。

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1 個のコメント

  • 鴨川と桁違いの大河川・桂川 古代から続く治水の歴史   | 歴史活用研究所 へ返信する コメントをキャンセル

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