クラブツーリズムで行く妻籠・馬籠4 馬籠脇本陣史料館で学ぶ馬籠宿の歴史

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台風24号の近畿地方接近が叫ばれている2018年9月29日(土)、秋雨前線にも負けず、クラブツーリズムバスツアーに行ってきました。

『トイレ付きバスで秋めく宿場町へ 秋の妻籠宿・馬籠宿食べ歩き(日帰り)』 【JR大阪 出発】

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2018.09.29

次の目的地は、同じく中山道の宿場町である馬籠宿(まごめじゅく)。20分足らずのバス移動ですが、カーブが多く、乗り物に弱い人はご注意ください。

妻籠宿の次の宿場になりますが、妻籠宿は長野県木曽郡南木曽町、馬籠宿は岐阜県中津川市になります。

にぎやかな馬籠宿

馬籠宿も古い宿場町の面影を宿していますが、実は明治と大正に大火に見舞われ、古い町並みは石畳と枡形以外、すべて焼失してしまいました。今の町並みは、復元されたものなのです。

防火用の設備が目を引きます。石畳は焼け残った貴重なものですが、雨が降ると滑りそうで、とても怖かったです(妻籠宿で危うく滑って転びそうになりました)。雨の時は気を付けましょう。

馬籠宿は坂道に沿った宿場で、バスで坂の上まで連れて行ってもらい、坂を下って馬籠宿の反対側へ進み、待っているバスに乗り込むというパターン。坂を下るだけの、片道通行になります。

妻籠宿が雨のためか、静かでしっとり落ち着いたたたずまいだったのに比べると、馬籠宿は、観光地らしい華やかさがありました。

土産物屋も、妻籠宿に比べて多かった印象があります。

木曽の五木

馬籠宿に向かうバスの中で、アクロス大阪バスの北原バスガイドさんが、「木曽の五木(ごぼく)」について教えてくれました。

ひのき、あすなろ、こうやまき、ねずこ、さわらの五種類の常緑針葉樹は、尾張藩の専売として、村人が勝手に伐採することを禁じたのです。

どんな木なのかな?あまり木に詳しくないし、実物を見たことないなと思いながら歩いていると、五種類植えてある場所がありました。

上の右がこうやまき、左がさわら。

上はねずこ。

これはあすなろ。

これがヒノキ。いずれも加工しやすく、芳香があるなど、良材だったのです。これらの木々は、馬籠脇本陣史料館の前に植えられていました。

せっかくなので、史料館を見学することに(大人300円)。

史料館には、斧(よき)や刃広斧(はびろよき)という、山仕事の道具も展示されていました。

尾張藩は村人たちの盗伐を防ぐため、のこぎりの使用を禁じ、伐採の音がふもとまで届く斧しか使用させなかったそうです。勝手に木を伐れば、首が飛び、枝を1本伐っただけでも、指が1本切られたとか。

馬籠脇本陣史料館で学ぶ歴史

史料館には、馬籠宿の人々への防火への祈りがわかる、秋葉権現や火天の掛け軸や、

民家のいろり、灯火の変遷などが展示されていました。

一休宗純の書(上)や頼山陽の書(下)もあります。

江戸時代、成人男子は1日40km、女子でも32kmを歩いたそうです。旅人は宿場に1泊はできましたが、2泊以上する場合は役人に届けなければいけなかったと知ってびっくり。

水戸黄門御一行様は、事件が解決するまでかなり連泊していたと思うのだけれど、どうしていたのかな?

当時の旅行に関する展示品もありました。

中山道にも木曽福島の関所があって、女性や前髪の少年、僧侶などは念入りに調べられたそうです。江戸から幕府の人質となっている大名の奥方が脱出するのを警戒していました。左は道中手形。

島崎藤村の父・島崎正樹の展示。彼は馬籠宿の本陣(庄屋)島崎家の長男として家を継ぎますが、平田篤胤の門下生となり、勤王攘夷の志の篤い人だったようです。

再現された脇本陣「上段の間」

馬籠宿の脇本陣は、八幡屋という屋号で、当主蜂谷家は代々村役人(年寄役)に選ばれ、宿場の運営にも携わっていました。

脇本陣も明治の大火で焼失しましたが、その跡地に史料館が建設され、「上段の間」も復元。

この部屋は、朝廷や幕府の高位高官の利用に供する部屋で、他の部屋より床は一段高く造られ、その地下には警護の部屋が設けられています。

上段の間は、家人でも使用できないなど、定められた者以外の利用は禁じられていました。

鹿の角の刀掛けなど、時代劇でも見たことがありません。蒔絵の脇息など、いずれも豪華な調度品です。

珍しい玄武石垣

脇本陣の上段の間北側は、外部に直接開ける無防備な設計であることから、ここに小さな庭(坪庭)を築いて外部を遮断し、敵の襲来を防ぐようにしました。

中国の東西南北を守る「四神」で北の方角を守るのは、亀に蛇が巻き付いた姿の玄武神。

北の方角防御のための坪庭をあたり、積石をすべて亀甲型に造り、ここに玄武神を迎えて北の守りとしました。展示されている石は、何かの理由で使われることなく放置されていたとか。

脇本陣でもこんなに豪華で気を遣っているのだから、本陣はもっともっとすごいのでしょうが、残念ながら本陣には行けてないのです。

私たちが本陣を見ないで、どこを観光したのかは、また次回のお楽しみに。

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