『逃げ上手の若君』ゆかりの地2 北条氏滅亡の地・東勝寺跡と腹切りやぐら

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『週刊少年ジャンプ』に連載が始まった『逃げ上手の若君』の舞台の1つは、鎌倉です。鎌倉時代末期から南北朝時代を描く、異色の時代設定。

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先日、その鎌倉を訪れる機会がありました。

本日ご紹介するのは、若君の父・北条高時と北条の一族郎党870余名が自害したという、衝撃の場所です。

北条氏の菩提寺と要塞を兼ねた東勝寺

東勝寺は、3代執権であり、御成敗式目(貞永式目)制定など名君として知られている北条泰時が建立した寺院。

今は寺院跡を残すのみですが、発掘調査の結果、鎌倉石の石垣や排水溝、建物跡、中国製の壺などが発見されたようです。

北条一族の菩提寺の1つとして建立されましたが、前回紹介した宝戒寺と違って

『逃げ上手の若君』ゆかりの地1 若君の父・北条高時の菩提を弔う宝戒寺

2021.03.11

この寺院は谷間に位置しており、いざというときには要塞としての役目もあったと考えられています。

そして不幸にも、その「いざというとき」が起こったのが、1333(元弘3)年。新田義貞軍による鎌倉攻撃。

追い詰められた北条高時らは東勝寺に立てこもり、家臣らが次々切腹。最後に北条高時とその舅・安達時顕(ときあき)が自害しました。

先に主君が自害したから、後を追って一族郎党が次々切腹したと思っていたのですが、逆だったのでちょっと意外な気がします。

北条滅亡を見届けた東勝寺橋。今は美しい石造りのアーチ橋で、鎌倉唯一の大正時代に造られた橋だそうです。貴重な橋なんですね!

腹切りやぐら

この東勝寺跡の近くには、「腹切りやぐら」という物騒な名前の史跡があります。

鎌倉に来て初めて知ったのですが、「やぐら」というのは、岩肌を削った中世の横穴式墳墓のこと。

海と山に囲まれた鎌倉は、防御には最適ですが平坦地が少ないため、墳墓はこのような形式となったようです。

ここが北条高時最期の場所だったのかな?

東勝寺跡から腹切りやぐらまでは、たいした道のりではありませんが、道が荒れていて、あちこちに「マムシ注意!」という看板もあったので、夏に訪れる場合は注意してくださいね。

なお、近年の自然災害の影響がまだ残っているのか、祇園山ハイキングコースは閉鎖されていました。

北条高時の人物像

北条高時と言えば、闘犬や田楽(でんがく)という当時流行していた芸能(一種のダンスパフォーマンス)にうつつを抜かし、当時不吉の前兆とされた「妖霊星(ようれいぼし 今の彗星)」を見ても喜んで踊っていたそうです。

私も珍しい彗星を見たら、喜ぶ方なのでちょっと気になります。

昔の歴史教科書には、北条高時は暴君もしくは暗愚な君主と表現され、漫画の『逃げ上手の若君』でも、ちょっとアブナイ表情をしていたような。

でも敗者って、都合良く性格や業績などを書き換えられてしまうので、注意が必要。

暗殺された源頼家も、性格が悪くて暴君で素行も悪くて、暗殺されて当然!みたいに『吾妻鏡』には描かれているようですが、本当はどうなのでしょうか。

貴族の日記『増鏡』や有名な『二条河原落書』によると、虚弱体質で闘犬や田楽は確かに好きだったようですが、性格などはあまりよくわかりません。

最高権力者の得宗だった高時ですが、実際の政治は家臣らが主導する寄合によって運営されることが多く、彼は「飾り物」化され、その分趣味にのめりこんでいったのでしょうか。

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の脚本で注目を浴びた池端俊作さんが、同じく脚本を担当した大河ドラマ『太平記』の北条高時(片岡鶴太郎さん)が、とても印象に残っています。

870余名もの人々が彼に殉じたのは、なぜだったのでしょうか?

平家、梶原、畠山、比企(ひき)、和田、三浦、そして北条。この時代の武士たちは皆、一門ことごとく死んで滅びてしまいます。なんだかやりきれない。

腹切りやぐら見学を終えて、近くを流れる滑川(なめりがわ)で見た光景。

赤い椿の花びらが、自刃した武士たちの血を連想させ、とても印象的でした。

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