若狭彦神社から若狭姫神社へ
2022年5月22日(日)、福井県小浜市の寺社を巡る機会がありました。最初に若狭神宮寺を訪れ、
若狭一宮の上社である若狭彦神社も訪れました。
次に訪れるのは、若狭国一宮の下社である若狭姫神社です。
距離は少し離れていて、徒歩で30分弱ほどでした。
途中の道には、お寺でもないのになぜか鐘楼が。
若狭彦神社に近い竜前(りゅうぜん)地区が管理している、集会の時に鳴らす鐘です。神仏習合だった時代に神社に奉納されていた鐘を、神仏分離の明治時代になって、集落で管理するようになったのだとか。
「かねつき堂の里 竜前」と書かれた看板もありました。
良弁僧正の出身地・白石の里は不思議な場所
あの『解体新書』で有名な杉田玄白医師も小浜出身ですが、
今回撮影したのは、東大寺建立に努力した良弁(ろうべん)僧正。一説によると鵜の瀬近くの白石の里で誕生し、幼いころに鷲にさらわれて(!)奈良で杉の木に引っかかっているのを助けられ、僧侶として育てられたそうです。
白石の里と言えば、お水送りの儀式が行われる鵜の瀬の近くだし、若狭彦神=彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)=山幸彦と若狭姫神=海神の娘・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)=竜宮城の乙姫様が出現した場所。しかも出現した2柱の神の姿は、唐人のようであったという伝承があり、白石の里は現実世界とは違う場所(外の国含む)、不思議なものと出会える場所だったのでしょうか。
東大寺大仏建立の功績などから東大寺の初代別当となった良弁僧正生誕の地と、お水送りの儀式が行われるのが同じ地域というのは、本当に不思議ですね!
珍しい「吉祥八人」の随神門
若狭姫神社が見えてきました。
上社の若狭彦神社と同様、木々が生い茂る参道を通りますが、こちらの方が、森は明るい感じ。
随神門には、
左右に4人ずつ
8人の神々の像がありました。
これらの「吉祥八人」に、まずは参拝することを勧めています。これらの神々は、若狭姫神がこの地に鎮座した時お供していた神々で、私たちと極めて近い神々だそうです。白石の里に出現した唐人のような2柱の神々には、8人のお供がいたのですね。冠をかぶり、笏(しゃく)を持っていますが、彼らの服装が唐人風かどうかまではわかりませんでした。
8人もの神々がいる随神門があるのは、若狭姫神社と若狭彦神社だけだそう。若狭彦神社にも吉祥八人がおられたようですが、見落としてしまいました。
千年杉と乳神さま
神門と本殿です。
苔むしている屋根が、とても神秘的な感じです。
「姫神社」らしく、安産や子授けのご利益もあるのだとか。
そして本殿左側にある、とても大きな千年杉。立派なご神木です。
本殿の屋根がよく見える場所がありました。
屋根の両端を飾っていた「鬼板」。平成の屋根修理で取り換えられたうちの1枚です。模様が面白い!
子育て守護の中宮(なかみや)神社にも参拝。
こちらは「乳神さま」と呼ばれる大銀杏。安産子育ての神にふさわしい樹木です。
以前若狭彦神社で行われていた相撲に関する展示もありました。
大相撲の奉納巡業もあって、地元の人々からとても人気があったみたいです。今回私たち以外には人の姿を見なかった若狭彦神社が、にぎわっていたのですね。「日本一の相撲場」と書かれ、地元の人々の誇りも伝わってきました。
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