吉野山のお土産と言えば、柿の葉寿司や葛餅、桜に因む様々なグッズが定番だと思います。
桜グッズはハンカチや傘、お香などたくさんあって、目移りしますね。
私達は葛餅や桜まんじゅう、そして陶器の店で桜のマグカップを買いました。
そんな一般的なお土産とは別に、日本古来の神々と、仏教との信仰を習合させ、厳しい山岳修行を行う修験道(しゅげんどう)という独自の宗教の聖地である吉野山には、他の場所では余り見られない、ちょっと変わったものを売る店もあります。
たとえばこれ。
修験道の修行をする山伏が持つ法螺貝(ほらがい)です。
土産物かも知れないけれど、吉野ならではの品物です。
音を鳴らすのがとても難しそうだけれど、あの音が出せるまで、何年かかるのかな。
一方こちらは、店構えからして伝統を感じさせます。
何を売る店でしょうか。
看板(額?)のようなものに、何か書いてあります。
丸、ケ、ス、ラ、ダ? 意味不明です。
これはどうも、昔のやり方で、右から左に読むようです。
ダラスケ丸
店の奥に、縦書きの看板もありました。
ここは「フジイ陀羅尼助丸」という店で、「陀羅尼助丸」という修験道とも縁が深い漢方薬を製造・販売しています。
「陀羅尼助」は単に「だらすけ」とも呼ばれ、日本の薬の元祖とされているようです。
この不思議な名前の薬について、今回はお話ししたいと思います。
陀羅尼助と役行者(えんのぎょうじゃ)
修験道の開祖は、奈良時代の呪術者・役小角(えんのおづぬ)、別名役行者と呼ばれる人物です。
山中で修行をしていた役行者は、キハダという植物(ミカン科の落葉高木)の樹皮に薬効があることに気がつきました。
キハダの樹皮からコルク質を取り除き、乾燥させたものは黄檗(おうばく)と呼ばれます。
抗菌作用と共に様々な効能があり、特に下痢止めや整腸作用などに優れ、胃腸を健やかにするようです。
役行者はこの薬で、疫病に苦しむ多くの人々を救ったと言われています。
修験道の広まりと共に、この薬も山伏達の薬として用いられ、やがて江戸時代には『義経千本桜』などの歌舞伎、川柳、俳句などにも登場して、広く親しまれるようになりました。
「陀羅尼助」の名前の由来
陀羅尼(だらに)というのは、仏教で用いられる呪文の一種。
呪文のため翻訳されず、古代インドの言葉であるサンスクリット語を、漢字で表記してそのまま唱えています。
キハダの樹皮・黄檗をどろどろに煮てエキスにし、竹の皮に伸ばして板状にしたものが、本来の「陀羅尼助」です。
服用するときは、手でちぎるか、ハサミで切って、一片を服用しました。
現在は服用しやすい丸薬タイプ(陀羅尼助丸)が、製造の中心です。
この薬がなぜ「陀羅尼助」と呼ばれるようになったかについては、2つの説があります。
- 役行者は黄檗を煎じながら、「この薬を飲む人が救われるように」と、孔雀明王陀羅尼経を唱えていたため、この薬を「陀羅尼助」と呼ぶようになった。
- この薬には強い苦みがあるため、僧侶が陀羅尼を唱えるときにこれを口に含み、眠気を防いだことから、この薬を「陀羅尼助」と呼ぶようになった。
勉強&仕事中に、眠気に苛まれている私にすれば、後者の説の方に親近感が持てます。
私達がガムやミントタブレット、ドリンク剤などで眠気を撃退するように、僧侶達も必死で眠気と戦っていたのでしょう。
各地で作られた陀羅尼助
2010年(平成22年)、奈良県葛城(かつらぎ)市にある當麻寺(たいまでら)を訪れる機会がありました。
當麻寺境内にある付属寺院(子院 しいん)の1つ、中之坊(なかのぼう)を見学していたとき、
「秘薬 陀羅尼助精製の釜」
という、すごい案内板があったのです。
役行者は當麻寺で修行をしていた頃、ここでも陀羅尼助を作っていたようでした。
いかにも年代物という大釜があり、1983年(昭和58年)まで使われていたようです。
しかし余りに古い設備であったため、国の製薬基準に合いづらくなって、當麻寺中之坊での製薬は中止されました。
私が中之坊を見学したとき、中之坊で「陀羅尼助」は販売されていましたが、それは奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)にある銭谷小角堂という製造所のものでした。
昔からとても気になっていた、不思議な響きと奇妙な漢字を持つ薬・「陀羅尼助」。
古代インドの言葉で唱える呪文のように、効き目があるといいなと思って、當麻寺中之坊で丸薬タイプを1箱購入しました。
1回1袋飲むのですが、袋の中にある1回分の丸薬は30粒。
役行者の作った不思議な薬を、今も使っているのは、きっと何かのご縁なのでしょう。
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