モナコの見どころ 旧市街・モナコヴィル地区の絶景とモナコの歴史

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モナコ旧市街は岩山の上

モナコの旧市街は、モナコヴィルと呼ばれます。

モナコは都市国家なのですが、モナコヴィル地区は、さしずめモナコの首都というべき歴史ある場所。

旧市街・モナコヴィル地区に行くためには、岩山を登らなければなりません。

道は整備され、途中にはリスの姿も見かけましたが、この道を上るのはなかなかいい運動になりました。

クリスマスシーズンのためでしょうか、このようなサントン人形(南フランス発祥の、キリスト降誕の様子を再現した素焼きの土人形)が、岩山の中腹に飾られています。

道からの絶景も、目を楽しませてくれました。

とても一気にはこの岩山を登ることはできず、所々で休憩しつつ、やっと岩山の上へ到着。

ここにあるのがモナコ大公の宮殿です。

こんな岩山の上に建てれば、さぞ難攻不落の要塞となったでしょう。

モナコ大公家誕生の物語

宮殿の横に、とても気になる銅像がありました。

宮殿の近くにある銅像といえば、堂々たる騎馬像が普通なのに、ちょっと怪しげな雰囲気です。

調べてみると、彼こそモナコ大公家の始祖、フランソワ・グリマルディ

当時のイタリアは、ローマ教皇を支持する教皇派(ゲルフ)と、神聖ローマ皇帝を支持する皇帝派(ギベリン)との抗争が続いていました。

あの「ロミオとジュリエット」も、この抗争で対立した2つの家を舞台にして描かれたのです。

天然の要塞であるモナコの岩山は、古代から多くの民族により支配されましたが、やがてイタリアのジェノヴァから移住したというリグーリア人が植民します。

神聖ローマ帝国皇帝のハインリヒ6世は、1191年、モナコの支配権をジェノヴァ共和国に与えたため、ジェノヴァから派遣された皇帝派がモナコの岩山上に要塞を建設し、ここを皇帝派の拠点にしました。

フランソワ・グリマルディは教皇派のジェノヴァ貴族でしたが、フランシスコ会の修道士に変装し、法衣の下に武器を隠して、皇帝派のジェノヴァ人に支配されていた岩山の砦を占領してしまいます。

「狡猾な男」と呼ばれた彼の一族がこの後もモナコの岩山を支配し続け、これがモナコ大公となったグリマルディ家なのです。

歴代大公の中には、海洋学者として名高いアルベール1世もいました(モンテカルロ地区の大通りに名前を残しています)。

ちなみに「大公」(princeの訳)は、国王と名乗ることまでは承認できないが、実質的に君主とみなされる貴族に与えられる称号です。

宮殿の旗棒に白い旗がかかっていたので、今日はアルベール2世が宮殿におられるようです。

モナコとフランスの関係

モナコは陸側の周囲をすべてフランスに囲まれており、フランスに併合されてもおかしくないのですが(フランス革命中はフランスの支配を受けました)、現在までグリマルディ家の支配が続いています。

ただフランスとは歴史的にも経済的にも特別な関係にあり、住民の半数ほどがフランス国籍を持ち、モナコ語も存在するのですが公用語はフランス語です。

モナコ軍も警備・儀仗部隊であり、国防はフランスが担当しています。

王宮前には衛兵さんもいましたが、まだ朝のうちは観光客がいなかったため、ちょっと暇そうでした。

11月1日~4月1日は、観光客は王宮内部に入ることはできません。

宮殿前周辺には大砲がずらりと並び、宮殿が要塞であった頃の面影を偲ばせていました。

岩山の要塞から打ち出される砲弾は、なかなか威力がありそうです。

岩山からの絶景と旧市街

当然のことながら、岩山の上からの眺望は素晴らしい。

港やモンテカルロ地区の街並みが一望できました。

クリスマスの午前中ということで、旧市街の店はまだあまり開店していませんでしたが、絶景は見られたし、観光客が少なくて写真も撮りやすくて、大満足。

先代のモナコ大公レーニエ3世がハリウッド女優のグレース・ケリーと結婚式を挙げ、2人が並んで眠るモナコ大聖堂も、岩山の上の旧市街にありました。

大公宮殿前では、毎日11:55から衛兵交代も行われるのですが、それを見物していると午後のニース観光ができなくなってしまうので、やむを得ず断念。

モンテカルロ駅西口

岩山を再び降りて、モンテカルロ駅を目指しました。

モナコヴィル地区から駅に行く場合は、モンテカルロ駅西口が便利です。

西口から、とても長い地下通路を歩きます。

モナコ領内を通る列車はすべて地下を走りますが、岩山ばかりの土地を少しでも有効活用するためです。

ニースに戻る列車もなかなか豪華で、モナコで一銭も使わなかった私達でも、少しゴージャスなセレブ気分を味わうことができました。

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