旧港から丘の上の大聖堂へのアクセス
マルセイユを駆け足観光する旅行者でも、もし天気が良ければ最優先で訪れるべきお勧め観光地は、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バシリカ聖堂です。
その理由は2つ
- 港町マルセイユの街並みと、地中海と、「モンテ・クリスト伯」の舞台イフ島が一望できる。
- 大聖堂内部には、港町マルセイユらしい内部装飾がある。
眺望がいい大聖堂は、海抜154mの丘の上に建っています。
もちろん旧港から歩いて上ることもできますが、旧港から60番のバスかプチトランに乗って、楽に行くことができます。
プチトランとは、旧港の市庁舎近くから出発する観光用ミニ列車です。
道路を挟んで海側(サン・ジャン要塞寄り)には、60番のバス停留所があります。
私達は、このバスで大聖堂へ行きました。
バスに乗ると、運転手さんは切符を見ようともせず売ろうともしません。
乗客は私達だけでした。
切符を車内で購入しようと思っていたのですが、きっかけがつかめないまま、降りる時も何も言われず、結局無賃乗車のような形になってしまいました(帰りも同じ状況でした)。
丘の上から見たマルセイユの街並みとイフ島
大聖堂に行く前に、丘の上の展望台から、マルセイユの街を見下ろしました。
想像していたよりも、はるかに美しい眺めです。
近代的な建物もあるけれど、多くの建物の色が統一されていて(モナコでも感じたことですが)、すっきりしていました。
大聖堂は、展望台からさらに丘を登ったところにあります。
この丘の上には、もっと素晴らしい景色が待っていました。
マルセイユの街並みと、その沖合に浮かぶ小さなイフ島、そしてその奥にフリウル島が見えます。
昨日のモナコやニースでは天気に恵まれませんでしたが、今日は晴れていてよかった!
イフ島とイフ城(シャトー・ディフ)
無人島だったイフ島に築かれたこの城は、16世紀、当時のフランス国王フランソワ1世が海を渡ってやって来る外敵からマルセイユを守るために、砦として急造させたものです。しかし、実際には華々しい戦闘に役立ったことは一度もなく、むしろ牢獄として使われました。鉄仮面やサド男爵も捕らえられていたという説もありますが、最も有名な囚人は作家アレクサンドル・デュマが小説「巌窟王」で幽閉した主人公たちでしょう。現実にも数多くの政治犯やプロテスタント、異教徒たちが閉じ込められてきました。牢は見学することができ、またテラスからは素晴らしい眺めを楽しむことができます。 旧港から出る遊覧船でイフ島までおよそ20分。ちょっとした地中海クルージングの気分が味わえます。イフ島行きの船は夏期1日8本、冬期1日4本程度出ています。
私達は今回、イフ島に行く時間はなかったのですが、それでもあの名作『モンテ・クリスト伯』(巌窟王)の舞台になった場所を、一目見ることができて、とても良かったです。
写真を拡大してみると、本当に小さな島なのに、要塞化されているのがわかります。
ここにずっと閉じ込められていたら、やっぱり復讐の鬼になりますね。
私は『モンテ・クリスト伯』はまだ読んでいませんが、そのストーリーをアレンジした和田慎二さんの少女漫画『銀色の髪の亜里沙』がとても印象に残っていて、イフ島を見ても、ふと思い出したりしました。
冬場は船が少ないみたいなので、ぜひ夏場にまたマルセイユを訪れて、今度はイフ島にも上陸してみたいです。
港町を見守る大聖堂と聖母マリア
この丘の上に建つ大聖堂は、街中どこからでも、そして海の上からでも仰ぎ見ることができ、マルセイユのシンボル的存在になっています。
旧港から見ると、こんな感じです。
大聖堂には、巨大な四角柱の形をした鐘楼があり、黄金のマリア像が海とマルセイユの街、そして航海に出ていく人々を見守っていました。
フランスの街には、いたるところに聖母マリアにささげられたノートルダム大聖堂があり(ノートルダムとは「我らの貴婦人」という意味で聖母マリアのこと)、聖母マリア信仰の強さに驚かされます。
一体なぜここにマリア様?と不思議だったのですが、調べてみると聖母マリアには、「海の星の聖母」という別名があり、海で旅する人々の保護者となっているそうです。
これはピエタ像かな?
港町らしい大聖堂内部
大聖堂内部にも入ってみました。
モザイクや大理石で装飾されており、とても荘厳な雰囲気。
ロマネスク・ビザンチン様式だそうです。
白と赤の縞模様の装飾は、スペインのメスキータとよく似ています。
この教会にもクリスマスシーズンなので、サントン人形が飾られていました。
きらびやかな大聖堂内部には、海にまつわる奉納画があります。
船の形のつるし飾りもあり、港町らしい情緒でした。
これらはみな、祈願や感謝をささげるために奉納されたものだとか。
陸地を行く旅人よりも、海を行く航海者は嵐や海賊などの危険がはるかに大きく、祈りも切実だったのでしょう。
聖母マリアに対する篤い祈りは、今でも続いているような感じでした。
コメントを残す