スリランカ紀行 シンハラ王朝の首都・ポロンナルワ 王宮跡とクワドラングル

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宮殿跡

シーギリヤからアヌラーダプラに都が戻った後、仏教徒の勢力争いが激しくなり、都は混乱状態に。

やがて南インド(タミル人)のチョーラ王朝が大軍を送ってアヌラーダプラを征服し、やむなくシンハラ王朝は、10世紀に都をポロンナルワに移しました。

この宮殿は、12世紀のパラークラマ・バーフ1世が建てたもので、れんが造りの重厚な建物です。

当時は7階建てで、1,000の部屋があったと言われていますが、現在は3階の壁までしか残っていません。

壁に空いている穴は床柱を通すためのもので、4階から上は木造だったのかもしれません。

白い部分は漆喰で、当時は白亜の建物だったのでしょうか。

これは、宮殿で働く人々が生活していた空間の遺跡かな?

王子の沐浴場

都市建設の際、まず行われたのが貯水池建設と水路・水道の整備でした。

これはパラークラマ・バーフ1世の息子で、のちに王位を継ぐニッサンカ・マーラ王子の沐浴場。

昔はもっと水はきれいだったでしょう。

ワニの口の形をした水の樋口で有名とガイドブックに書いてありましたが、見落としてしまいました。

閣議室跡

石の柱が並ぶこの建物は、シーギリヤ・ロックの帰り道でも見かけた閣議室。

基壇がとても立派です。

閣議室の入り口には、ライオンが彫られていました。

ポロンナルワ遺跡入場券(25USドル)の裏面の写真は、この閣議室みたい。

閣議室の石柱には各大臣の名前が彫られており、大臣たちはその場所に座って閣議を行ったそうです。

クワドラングル

クワドラングルとは四角形という意味で、宮殿の北側にあり、城壁に囲まれた方形の庭に11の建築物が集まっている場所を指します。

シンハラ王朝の首都だった時代、ここに仏歯寺があり(現在はキャンディに移動)、ポロンナルワの仏教の中心地でした。

サトゥマハル・プラサーダ

クワドラングルの北の端にある、ピラミッド型の7階建ての塔です。

タイの寺院に似ており、タイから来た人々によって建てられたのではないかと言われています。

ポロンナルワが全盛期を迎えた12世紀には、上座部仏教の聖地として、タイやビルマからも僧侶が訪れていたようです。

ガルポタ

ヤシの葉の本の形をした石碑で、別名は「石の本」。世界一重い本でしょう。

インドの侵略者のことや、ポロンナルワの周囲の小国との関係、ニッサンカ・マーラ王(沐浴場の王子様)への称賛の言葉が彫られているそうです。

側面はこんな感じでした。

ワタダーケ

クワドラングルの中で一番大きくて目立つ、スリランカ独特の円形の仏塔。

中心の仏塔は、まだここが首都になっていない時代に建てられました。

参拝者たちは、仏教で輪廻を表すムーンストーンの上で足を洗ってから、仏塔内に入りました。

近くには、小さな仏像(弥勒菩薩?)もありました。

アタダーケ

宮殿を建てたパラークラマ・バーフ1世の祖父・ウィジャヤバーフ1世によって、11世紀に建てられた寺院です。

当時柱の上には木造建築があり、そこに仏歯が奉納されていました。

ハタダーケ

12世紀、ニッサンカ・マーラ王によって建立された寺院で、ここも仏歯寺になっていました。

寺院の入り口にあるガードストーンは、入口から悪魔が入るのを防ぎ、内部の本尊を守ります。

サンスクリット文字の碑文もありました。

トゥーパーラーマ

クワドラングルの遺跡群の中では唯一、いまだにはっきりと形を整えており、屋根も残っています。

シンハラ建築のゲディゲという建築様式らしく、内部に入るとやや涼しく感じられました。

ここには仏像があり、厚い壁に開けられた小さな穴から、薄暗い堂内に朝と夕刻に太陽光線が入り、仏像の顔を照らし出す仕組みになっているのだとか。

仏像は長い歴史でやや崩れ気味ですが、人々の信仰心はとても篤いです。

建物の壁をよく見ると、色彩も残っているようでした。

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