スリランカ紀行 多い?少ない?スリランカ最大の都市コロンボの見どころ

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大都会コロンボは経済の中心

私達がコロンボの街に入る前から、日本語ガイド兼ドライバーのランジェナさんは、コロンボ観光について悩んでいました。

彼が言うのには、コロンボはビジネスの街で、あまり観光地としての見どころがないというのです。

確かに大都会なので、豊かな自然があるわけでも、道を象が歩いているわけでもなく、由緒正しい世界遺産もありません。

そんなコロンボですが、意外と見どころはありました。

バワ建築の寺院

まず最初に訪れたのは、シーマ・マラカヤ寺院です。

ベイラ湖の上に建つ小さな寺院ですが、これがスリランカの誇る建築家、ジェフリー・バワの設計。

これも先ほど見た、スリジャヤワルダナプラコッテの国会議事堂とよく似た雰囲気でした。

スリランカ紀行 スリジャヤワルダナプラコッテの歴史と見どころ

2017年8月31日

日本の浮御堂という感じでしたが、ここは入場料が必要らしく、内部見学は断念。

車を停めるのもダメらしくて、寺院の前で写真を撮っていたら、警備員さんに追い払われました。

この近くにあるガンガラーマ寺院はとても大きいのですが、ここも入場料が必要なので見学はパス。

外から見た仏像の表情は、スリランカの仏像というよりは、中国の仏像によく似ていました。

ゴール・フェイス・グリーン

海岸沿いにある芝生の緑地で、以前は競馬場やゴルフ場として利用されたようです。

インド洋に沈む夕日を眺めるのに絶好のポイントらしく、地元の人々が凧揚げを楽しむ場所としても知られています。

夜になると夜店も出て賑わうのだとか。

独立記念ホール

1948年2月4日、イギリスからの独立公式行事が行われた場所に建てられています。

独立当初の国名は「セイロン」。

1815年、キャンディ王国がイギリスの植民地となる調印式が執り行われた「王族集会所」を模した建築デザインと聞くと、植民地にされた側の怨念が伝わってくるようです。

ホールや隣接する公園全体が「独立広場」と呼ばれ、人々の憩いの場となっていました。

風通しが良くて涼しげですね。

「建国の父」と称えられるD.S.セナナヤケの銅像です。

とても印象深かったのが、あちこちに置かれている獅子の像(下はシーサーっぽい獅子)。

スリランカでは獅子はシンハラ人のシンボルとされているし、昔は漢字で「獅子国」と表記されたし、「ライオンビール」もあるしで、ランジェナさんに尋ねても、人気のある動物だとのこと。

でもこの獅子、あまりライオンに似ていない・・。

どことなく犬のような、ちょっとおじさんっぽいような感じもする、ユニークな獅子たちでした。

コロンボ・フォート駅周辺

スリランカ最大の鉄道の駅が、コロンボ・フォート駅です。

たくさんの人でにぎわっていましたが、スリランカ最大の街なのだから、もう少し駅も大きく、そしてきれいにしてもいいのではないかなと思いました(かなり殺風景?)。

建物のデザインも、ちょっと地味かな。

ここからフォート地区に行く大通りのロータリーには、こんな面白いオブジェも(意味不明)。

フォート地区

高級ホテル、官庁、銀行、航空会社のビルなどが建ち並ぶ行政の中心です。

私達のホテル、ザ・ステュアート・バイ・シトラスもこの地区にありました。

これはフォート地区のシンボル、時計塔。

かつては灯台の役割を果たしていましたが、周囲に高い建物が増えたため、現在は時計塔としてのみ使用されています。

建設途中の街並み

コロンボは、あちこちで高層ビルやタワーが建設されていました。

線路を歩くようなのんびりした光景は、もうすぐ見られなくなるかもしれません。

新しい港湾建設が、中国資本により進められているのも見ました。

この「ロータスタワー」も、建設費は中国企業が出しています。

中国資本が経営する、お客がほとんど中国人ビジネスマンだという高級ホテルもありました。

中国のスリランカへの進出については、対岸の大国インドも警戒しているし、第三勢力の日本も負けじと経済協力をさらに進めるようです。

かつては日本の援助額は最大だったようですが、最近は中国に抜かれているとか。

ジャヤワルダナ大統領時代からの絆もあるし、インド洋の要衝という立地条件を抜きにしても、親日国スリランカとの協力関係はもっともっと深めてほしいなと思いました。

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