豊田家住宅
今西家住宅と並ぶ、今井町の上層町人が住んだ町家の代表例です(重要文化財)。
元々は材木商で、金融業も営む豪商牧村家の所有で。「西の木屋」と呼ばれていました。
幕末の賢侯として名高い福井藩主松平春嶽や大和の高取藩に融資し(大名貸)、藩の財政を担うなど重用されました。
しかし明治になると、廃藩置県の大改革。
全国の藩債務を引き継ぐ形となった新政府は、あまりの債務額の多さに悲鳴を上げ、多くの債務を「無効」と宣言したため、貸し倒れとなった牧村家は今井町を離れざるを得なかったのだとか。
豊田家見学料(200円)の他、ボランティアガイドの交通費(1,000円)が必要です(ガイド料は無料)。
ボランティアガイドについては、こちらの橿原市観光協会サイトをご覧ください。
実はこの近くに、紙半豊田記念館があって、こちらは事前予約なしで見学できるのでした(大人300円)。
これに気づかなかったのが痛恨のミス!
高木家住宅
事前予約なしで見学できたのが、同じく重要文化財の高木家住宅(大人300円)。
ここも今西家住宅同様、奥様が説明してくださいました。
わが身に引き換えると、いくら重要文化財で暮らしていても、毎日毎日突然やってくる観光客に説明しなければならないというのは、(入場料を取るとはいえ)とても大変なことだなと思います。
現に、昔は公開されていた今井町の町家でも、ご家族の高齢化や、土日は休みたい(サラリーマンのご家庭がほとんどだそうです)ということで、非公開になっているお宅もあるのだとか。
この高木家住宅は不定休ですが、個人のお宅に伺うので、そこは寺院や博物館と違うところです。
皇族方も上がられた、高木家住宅の座敷
この高木家は、「大東の四条屋」の屋号で酒造・醤油業を営まれていましたが、現在は廃業されています。
江戸時代後期になる19世紀前半に建てられたらしく、今西家住宅よりは200年ほど新しいですが、それでも築200年近くになるのではという住宅。
今西家住宅では、座敷に上がることはできませんでしたが、この高木家住宅では座敷に上がることができました。
座敷の敷居は、今西家住宅よりは低いです。
お白洲ではないからでしょう。
庭に面して、床の間や違い棚がある典型的な書院造の座敷があるのは、新しい流れを取り入れているためで、古風な今西家住宅では。座敷のある場所は仏間でした。
皇太子殿下がまだ学生時代のころ、この家を訪れて座敷に上がられたようです(研究のため)。
礼宮様も来られたようで、その時の写真が飾られていました。
この高木家には、お金を借りに来る大名が利用するという、目立たない通用門もありました(上の写真の格子窓から少し見えます)。
でも借金のトラブルで刃傷沙汰になっても困るので、刀を振り回すと鴨居に突き刺さるよう、わざと天井は低くしてあるとか(商人の知恵!)。
昔はこの2階に丁稚さんが住み込んでいたそうで、箱階段も今では珍しいです。
座敷には、火縄銃もあるのでびっくり(ちゃんと銃刀法の届け出もされています)。
今西家住宅にも、槍が掛けられていたと思うのですが、やはり豊かな商人は、自衛のために用意していたのでしょうか。
座敷に飾られていた双六は、大河ドラマ『平清盛』でも登場していた昔ながらのスタイルのもの。
夜咄(よばなし)と呼ばれる冬の夜のお茶会で使われる灯りの短檠(たんけい)。
日本に7台しかなくて、大河ドラマなどで夜咄(千利休が切腹前に茶をたてるなど)のシーンがあると、よくこの道具が参考にされるそうです。
煙出しの工夫
新しい時代の住宅の工夫は、土間にも見ることができました。
今西家住宅に見られた煙出しがなく、側方から煙を出すようになっています。
上部に滑車を儲け、障子を上げ下げできる高窓もありました。
人々の暮らしに対する知恵が、少しずつ、住宅の進歩に貢献しているわけですね。
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