10月1日(日)に、紀淡海峡に浮かぶ無人島・友ヶ島を巡るHISバスツアーに行った体験記の続きです。
ツアーの正式名は、「【梅田発】紀淡海峡に浮かぶ神秘の島!現地ガイドで巡る「友ヶ島」と和歌山マリーナシティ黒潮市場」。
「和歌山市語り部クラブ」の現地女性案内人・小池さんと、タカノス山展望台の素晴らしい景色を堪能した後、いよいよ「ラピュタっぽい遺跡」と評判の第3砲台跡へ!
大阪湾を守る「由良要塞」の一部だった友ヶ島
ここは終戦まで、陸軍の「由良要塞」の一部で、一般人は立入禁止でした。
「由良要塞」とは、大阪湾防衛の目的で紀伊半島と淡路島の間の紀淡海峡周辺に作られた陸軍の要塞です。
実は昨日、10月5日(木)にBS JAPANで放映された『ミステリアス・ジャパン』でも「知られざる軍事要塞・友ヶ島 ~和歌山県和歌山市~」として紹介されていたのでびっくり。
由良要塞は、要塞司令部のある淡路島の由良地区の他、紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島地区、和歌山市の加太・深山(みやま)地区から成り、後に鳴門要塞(淡路島の福良地区)も編入されました。
友ヶ島には第1~第5砲台と虎島保塁が置かれ、由良地区と共に要塞の主力だったそうです。
日清戦争前の1889年から由良要塞の建設が始まり、友ヶ島の砲台は1890(明治23)年~1904(明治37)年に竣工しています。
鳴門要塞が吸収合併されたのは日露戦争の前年(1903)年で、当時はロシア艦隊が大阪湾を攻撃することも十分想定されていたことがよく分かりました。
大阪湾を敵の艦船から防衛する役割の由良要塞でしたが、第二次世界大戦では航空機が戦闘の主力となり、要塞の砲台が活躍する機会はまったくなく、終戦と同時に米軍により砲台は撤去されました。
現在は遺構の大部分が失われてしまい、鳴門要塞跡には大鳴門橋や大鳴門橋記念館が建設されていたりもします。
その中で友ヶ島は、終戦時に米軍に爆破処分された第2砲台以外は。軍事施設跡が比較的良好な状態で残っていると言われています。
第3砲台跡は映画や雑誌などのロケで使用されることがあり、2003年には土木学会選奨土木遺産に選ばれました。
真っ暗な地下トンネルと砲座跡
タカノス山展望台から降りてきた私達は、最初に第3砲台跡の砲座(大砲を据えておく場所)跡を見学しました。
砲座跡へ続く道では、若い女性グループが『君を乗せて』を歌っていて、ムードも満点。
島内の最高所周辺に設置された第3砲台は友ヶ島内の最主力砲台で、28cm榴弾砲(りゅうだんぽう)が8門ありました。
説明書きを見ても、なかなか在りし日の姿がイメージできません。
このレンガ造りの、地下へと続く階段を降りていきます。
この場所もラピュタっぽいですね。
中は本当に真っ暗でした。
グループメンバーの他の人たちが灯す懐中電灯やスマホの光、デジカメのストロボの光などで、何とか足元が見える状況(心配なら懐中電灯を用意してください)。
地下には、地下トンネル(弾薬庫)の大きな空間が広がっていました。
天井中央部には大きな丸い穴がありますが、これは直上の砲座に通じている砲弾装填のための揚弾口(ようだんこう)。
もちろん今は大砲が撤去されているため、穴には蓋がされていました。
この地下空間には、時々水たまりが出現するそうなので、足下に気をつけて下さい。
地上に上がる階段を上ると、目の前に丸い砲座が見えます。
廃墟となったレンガ造りの構造物に植物が生い茂っている様子は、確かに『ラピュタ』の雰囲気に似ていました。
アーチ型の部分が、ラピュタの建物と似ているのでしょうか。
雨が降ると丸い砲座跡に水がたまり、幻想的な景色に。
映画の中で、ラピュタ城中枢部に水が溜まっていて、虫(コバエ?)もたくさんいて、ムスカ大佐を悩ませていたことを思い出しました。
いつかこの砲座跡も、草木がすべて覆いつくしてしまいそうです。
現役バリバリの軍事施設より、私はこのような姿の軍事遺跡の方が断然好きなのですが。
弾薬支庫もラピュタの世界
次に案内していただいたのが、地下にある弾薬庫。
正式には「棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)」という名称だそうです。
木漏れ日のさす薄暗いレンガ造りの廃墟は、とても幻想的でしたが、惜しいことに私達は団体観光なので、どうしても写真に他の人が映り込んでしまいます。
ラピュタっぽい写真を取るのも至難の業でなので、ここでは断念し、「和歌山市語り部クラブ」小池さんについていきました。
私が大好きな、京都南禅寺の「水路閣」に(アーチの規模は小さいですが)雰囲気がよく似ていました。
レンガの積み方は、日本では珍しいフランス積みで、この砲台がフランスの砲台を模範として建造されたことがわかります。
このアーチの中が弾薬庫で、中は真っ暗ですが、自己責任で誰でも入れます。
弾薬庫の中は、隠し通路でつながっていてまるで迷路のようでした。
今は空っぽなのですが、とても広々としていて、ワインでも貯蔵できそうです。
電灯所と看守衛舎(将校宿舎)
最後に訪れたのが、このトンネルをくぐった向こうにある、電灯所(発電所)と看守衛舎。
このトンネルも幻想的で、異世界への入り口という感じでした。
砲台跡へのこのトンネルを守るように建っているのが、将校(少尉以上の軍人)が寝泊まりした家。
和風建築と、洋風のレンガ造りがミックスした、広くて立派な、なかなか不思議な家でした。
レンガ部分にある窓は、敵が近づいたときにここで銃撃戦があることを予想して造られた、銃眼なのでしょうか。
これは宿舎の裏口のようですが、いざという時の立て籠もり場所なのか、壁や窓(鉄格子があります)も頑丈でした。
頑丈な外観とは裏腹に、内部はとても崩れていて、中には入れません。
内部は純和風式の間取りで、当時の将校たちの憩いの場だったようです。
砲台よりももっと強烈に、「廃墟」を感じさせる場所でした。
宿舎の向かいにある電灯所(発電所)も、レンガと草木のコントラストが美しい場所でした。
草木に覆われ、時間とともに朽ち果てていく、当時(明治20~30年代)の科学の粋を結集した軍事施設。
「ラピュタの雷(いかづち)」やロボット兵たちを操っていた城が、「バルス!」の呪文で滅び、巨大な樹木が支える部分だけが残る映画のラストシーンと似通った光景だなと思いました。
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