マチュ・ピチュが建設された理由
マチュ・ピチュとは「老いた峰」の意味。
この都市遺跡を、インカの人々は何と呼んでいたのかは解りません。
この遺跡を世界に紹介した(地元ではこの遺跡はもっと前から知られていたそうです)アメリカ人のハイラム・ビンガムは、遺跡の存在する山の名を、遺跡にも付けました。
遺跡の中にある建物の名前なども、ビンガムやその後の研究者達によって便宜上名付けられたものです。
ビンガムが遺跡を発見(1911年)した翌年から発掘を始め、多くの女性の遺体が見つかったので、ここは太陽神に仕える巫女たちが住んだ場所だと考えられました。
しかし後の調べによると、マチュピチュの人口は300人から1,000人ほどで、女性だけでなく男性も暮らしていたようです。
この都市はインカの王パチャクティの時代の1440年頃に建設が着手され、1532年にスペイン人により征服されるまでの約80年間、人々の生活が続いていました。
そしてパチャクティ王がここに都市を建設したのは、「この景色のためだった」という研究者がいます。
太陽観測に最も適し、信仰の対象としての太陽に最も近い場所にあったために建設され、王族や貴族が冬の避暑地や田舎の別荘として、時たま訪れる場所だったともいわれています。
マチュ・ピチュの絶景を見るなら
インカの王族や貴族も絶賛したマチュ・ピチュの絶景ですが、ガイドブックなどでおなじみのこの絶景は、「見張り小屋」という場所から撮影することができます。
人気スポットなので、どうしても他の人が映り込んでしまいますが、そこは我慢我慢。
かなり階段を上るので、歩きやすい靴は必要でしょう。
健脚の方なら、マチュ・ピチュ遺跡の西側にそびえる標高2,720mのワイナピチュの峰に登り(入場制限があるので事前予約が必要だそうです)、そこからマチュピチュの絶景を見ることができます。
私達は「見張り小屋」でもう手一杯でしたが。
段々畑がとにかくすごい!
マチュ・ピチュ遺跡でまず目につくのが、見渡す限りの段々畑(アンデネス)。
マチュ・ピチュの段々畑は、とてもスケールが大きいです!
3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっています。
断崖絶壁に連なる段々畑で、数百人?もの農民が働いている光景は、さぞ壮観だったでしょう。
下から見上げると、まるでピラミッドのような段々畑です。
かなりデンジャラスな段々畑もあって、耕作中に農民が崖下に落下する事故がなかったのか、とても気になりました。
これも段々畑かな?
「耕して天に至る」という言葉が思い出されました。
農地管理人住居跡
マチュ・ピチュ遺跡で最初に目にした住居跡が、この建物。
屋根はインカ時代と同じように高地に自生するイチュと呼ばれる稲科の植物を使って復元されています。
いわゆる茅葺屋根の質素な建物ですが、この遺跡全体の建物も、大体こんな感じで屋根が葺かれていたのでしょう。
マチュ・ピチュで迷子になった
素晴らしく雄大な景色に感激してあちこち歩き回り、写真を撮っている内に、ここがどこだか解らなくなってしまいました。
右を見ても左を見ても段々畑と同じような石の建物ばかりです。
遺跡保護が徹底していて案内板が皆無ということもあり(2004年当時)、偵察に行っている間に、夫ともはぐれてしまいました。
遺跡は広大で観光客も多い、場内呼び出し放送もないし、携帯もない。
半泣きになりながらその場を動かなかったおかげで再会できたのですが、「一生会えなかったらどうしよう」と顔面蒼白になっていました。
くれぐれも、広いマチュピチュ遺跡で迷子にならないように気を付けてくださいね。
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