マチュ・ピチュの居住区
段々畑がとても印象的なペルーのマチュ・ピチュ遺跡ですが、市街地部分の遺跡も、なかなか見どころが多かったです。
段々畑を抜けると、市街地になります。
神殿を見た時も感じましたが、中央の部分は剃刀の刃1枚すら入りそうにありません。
でも上の方は少し隙間がありますね。
住居の石組は、神殿と違って少し手を抜いている個所もあるようでした。
当時は多くの住民(最大750名?)でにぎわっていたのでしょうか。
水汲み場があちこちにありました。
これも立派な水汲み場。
大きな都市遺跡の建設や維持には、水の確保が欠かせないと実感しました。
マチュ・ピチュ遺跡はアップダウンが本当に多いので、登山並みの服装・靴で訪れている人たちがたくさんいました。
この辺りは人口密度も高かったかな?
内部ではどんな暮らしが営まれていたのでしょう?
この面白い突起には、屋根がかかっていたそうです。
これらの家々にも、「農地管理人住居跡」のように(上の写真)、植物で茅葺のように屋根が吹かれていたのですね。
在りし日のマチュ・ピチュ遺跡は、一体どんな姿をしていたのでしょうか。
遺跡でのんびり暮らす動物たち
今回マチュピチュ遺跡を訪れて、一番驚いたのは、遺跡に動物がいたことでした。
まず発見したのは、絶景ポイントの「見張り小屋」近くでのんびりと草を食べているこの動物。
リャマという動物でした。
アルパカという動物もいました。
今でこそ、CMなどに出演して知名度も抜群。
可愛いという声も多く、アルパカ牧場なるものも日本に登場し、ペットとして飼育している人もいるとか。
でもマチュピチュ遺跡を訪れた時(2004年8月)ではまだ知名度も低く、意識して生きたアルパカを見たのは(動物園で出会っていたけれど、記憶に残っていませんでした)、おそらく生まれて初めて。
大体、何のために、こんなところにアルパカがいるんだろう?
それがとても不思議でした。
「儀式の石」の近くにも
マチュピチュには、コンドルの頭部をかたどったと言われる「コンドルの石」(下の写真)や
日時計説が有力な「インティワタナ」(下の写真)など
不思議な石が点在しています。
「儀式の石」というのも、不思議な形をした石で、インカの世界観を現しているのだとか、この上でいけにえが神に捧げられたとか、この石の上に死体を置き、防腐処理を施したなど、さまざまな説があるとか。
ここにも、リャマやアルパカがいました。
いずれもアンデス地方を代表する動物で、現地ではとても大事な家畜です。
でもどっちがどっちなのかわからないというのが、情けないところです。
働き者の動物たち
山の上に家畜の草食動物がのんびり草を食んでいるのを見ると、ここはアンデス山脈ではなく、奈良公園か、神戸の六甲山牧場ではないかとふと思ってしまいます。
ここにリャマやアルパカが来た理由としては、隣国のチリが撮影用に運んできたのが逃げ出したとか、除草用に放牧しているなど、諸説あるようです。
でもアンデス山脈とマチュ・ピチュ遺跡を背景に、リャマやアルパカと記念撮影できるなんて最高ですね。
南米秘境ムードが否が応でも盛り上がること、請け合いです。
なお、彼らは偶蹄目ラクダ科に属する動物で、怒ったり興奮したりすると、唾を吐いたりするので注意しましょう。
私が見る限り、彼らは遺跡に生えている雑草(だと思います)をせっせと食べ、観光客との写真撮影にも応じるなど、かなりよく働いていました。
奈良公園みたいに、人と動物と世界遺産のいい関係が、これからも続いてほしいなと思いました。
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