いざ鎌倉大仏へ!
鎌倉のシンボルと言えば、前回紹介した鶴岡八幡宮と共に、鎌倉大仏を思い浮かべる人もきっと多いと思います。
私は関西に住んでいるので、「大仏」と言えば絶対「奈良の大仏」なのですが、関東では「鎌倉の大仏」が知名度が高いかな?
外国人観光客にも人気の「鎌倉大仏」ですが、色々謎があるとも聞き、ここはぜひとも参拝したい場所なのです。
鶴岡八幡宮の参拝を終えた私達は、鹿児島から江ノ電に乗り込みました。
レトロな江ノ電で、のんびり沿線風景を楽しみながら、長谷駅で下車。
徒歩約7分で、鎌倉大仏のある高徳院に到着です。
拝観料は大人~中学生まで200円でした(団体割引料金は設定されていません)。
いつ、誰が造ったの?
奈良の大仏の場合は、(最初に)いつ、誰が造ったのか、ちゃんと小学校から学習します。
奈良時代、聖武天皇によって東大寺の大仏は造られたのでした(743年)。
大仏は源平合戦と戦国時代の2度焼失しますが、その都度(時間はかかっても)再興されました。
鎌倉時代の東大寺再建事業はかなり大々的に行われ、東大寺南大門や、運慶一派によって彫られた金剛力士像はとても有名ですね。
一方鎌倉の大仏の方は、いつ、誰が、どうやって造ったのか、はっきりしない部分が多いのです。
鎌倉時代に造られたことは確かで(1252年頃?)、浄光という僧が勧進(浄財を募る)の呼びかけをしたようですが、彼が何者で、彼と共にどんな人達が協力したのかよく分かりません。
こんなに大きくて目立っているのに、記録には建設の途中からしか書かれていないのも、不思議と言えば不思議です。
奈良の大仏と違って鎌倉の大仏には大仏殿がなく、屋外にありますが(露坐)、これについては大仏殿が倒壊したという記録があり(2度倒壊?)、室町中期から露坐だったようです。
大仏はどんな仏様?
奈良の大仏は、華厳(けごん)経に説かれている「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」という仏様。
この世界の中心であり、世界の存在そのものを象徴する絶対的な仏様です。
一方鎌倉の大仏は、人々を、死後に極楽浄土に導いてくれる阿弥陀如来。
どこでわかるかというと、手の印相が阿弥陀の特徴を現しているそうです。
造られた時代が500年ほど違い、建築様式や仏像の流行も違っているためか、また阿弥陀如来の特徴なのか、奈良の大仏よりも優しそうな、柔和な顔をしているなと感じました。
顔が大きくてうつむき加減、そしてやや猫背なのも(人間っぽくていいです)、鎌倉時代の流行だと、「奈良・鎌倉大仏百科」サイトに書かれていました。
与謝野晶子は「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」と詠んでいます(釈迦牟尼ではなく、阿弥陀仏の間違いです)。
この歌碑が、大仏のある高徳院の境内にあるらしいのですが、ついうっかりして、探しそびれてしまいました(今度行ったときに探します!)
奈良の大仏も鎌倉の大仏も金銅仏ですが、鎌倉の大仏は、最初は木で造られていたそうです。
そして、奈良の大仏は金メッキなのに対し、鎌倉の大仏は金箔を貼っており、昔は両方とも金色に輝いていたのです。
焼失と再建を繰り返した奈良の大仏と比較すると、鎌倉の大仏は、素材が変わったとは言え、鎌倉時代に完成したときの姿を今によく伝えており、国宝にも指定されています。
一方奈良の大仏は、「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されていますが、鎌倉の大仏は、現在世界遺産登録の候補として「武家の古都・鎌倉」の一部に登録されているそうです。
鎌倉大仏も、いつか世界遺産になってほしいですね。
鎌倉大仏の胎内へ!
奈良の大仏と違い、鎌倉の大仏は、内部の拝観が出来ると知って驚きました。
胎内拝観は、追加料金20円!を払えば見学できます。
こんな珍しい体験は滅多にできないと思い、早速入ってみました。
内部に入ると、内部構造がよく分かりました。
衣のひだが、とても間近に見られます。
当時の金属加工の技術もよくわかり、拝観してよかったと思います。
この背中の窓は、大仏を造ったとき、最後に残った土をここから排出するためのものだそうです。
外から見ると、こんな感じです。
この窓のためか、鎌倉大仏は時々巨大ロボットのようにも見えるのですが、私だけでしょうか。
奈良の大仏よりも少し小さな鎌倉大仏ですが、奈良の大仏とはまた違う魅力満載で、与謝野晶子の歌碑を探しに、絶対また訪れようと思いました。
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