41年ぶりの「国宝」展が、京都国立博物館で!
京都東山七条(三十三間堂の向かい)にある京都国立博物館で開催中の、「特別展覧会 国宝」Ⅲ期に行ってきました。
1897(明治30)年に京都国立博物館(当時は「帝国京都博物館」)が開館し、またこの年。「古社寺保存法」が制定されて「国宝」という言葉も誕生しました。
それから120周年にあたる今年2017年に、京都国立博物館では、41年ぶりとなる3度目の「国宝展」を企画しました。
全体を4期に分け、日本の国宝全体の1/4にあたる約200点の国宝が、京都に集合するのです。
Ⅲ期は11月12日(日)まで、Ⅳ期は11月14日(火)~26日(日)です。
なぜⅢ期を選んだのか
4期全てに行ってみたかったというのが本音です。
でも、「1,200組限定!4期すべてを鑑賞できる早割4枚セット券4,000円」などは買い逃してしまったし、京都まで行く時間もなかなか取れず、行きたいけれどずるずると、時間ばかりが過ぎてしまいました。
しかし、長谷川等伯ファンの夫は、ちゃんとチェックしていました。
以前から見たかったらしい等伯の「松林図屏風」(東京国立博物館)をどうしても見たいようで、それならⅢ期に行くしかない、Ⅲ期は11月12日(日)までだ!ということで、急遽11日(土)に行くことにしました。
噂通りかなりの混雑らしく、公式ホームページにはツイッターも掲載されており、待ち時間や混雑状況などを随時アップしてくれていました。
朝はとても混雑しているけれど、夕方はそれに比べれば空いているらしいということで、早速16:30頃に博物館に到着するつもりで出発しました。
秋の京都は市バスも道路も大混雑!
博物館は空いているかもしれない夕方ですが、道路や市バスはそうではありませんでした。
四条河原町から東山七条まで市バスで移動した私達でしたが、四条河原町から祇園・清水寺・東福寺へ向かう207系統のバスは国内外の観光客で大混雑。
道路も大混雑で、バスはのろのろとしか進まず、信号もやたらに多く感じられ、前を走る市バスが停車して乗客が乗降する(また時間がかかる)間は、私達のバスも待っていないといけなくて、とにかくとても時間がかかりました。
運転手さんによると、35分遅れで走っているそうです。
四条通なんて、歩いているのと大して変わらないのではないかと思うほどの、ノロノロ運転でした。
京都市民の年配女性たちが、「この時期市バスはいつもそうや」と話しておられたので、地元の方々にとっては、本当に大変な秋の観光シーズンなのでしょう。
とにかく時間が読めませんので、市バスで移動される方はご注意ください。
待ち時間はゼロだけど、金印を最前列で見るなら30~40分待ち
この「国宝展」の当日券は、一般1,500円、大学生1,200円、高校生900円、中学生以下は無料です。
学生の方は、学生証を持参してください。
チケットを買う時に少し並びましたが、それはクレジットカードで払いたかったためで、現金で支払うなら券売機で購入でき、割と並ぶ時間も短いかもしれません。
夕方なので、入館するための待ち時間は必要ありませんでしたが、金印だけは最前列で見る人のために専用の列が設定されていました。
3階で展示されている金印の最前列待ち最後尾は、2階にまで届いていて、金印に到達するまでに30~40分は待たないといけないらしい(金印自体がとても小さいので、じっくり前から見る必要があるのかな)。
以前、福岡市博物館で2回見たから(本当に小さいものでした)、今回は最前列の行列はパス。
憧れの等伯とご対面
私達は、2階から見学をスタートしました。
なんといっても、夫が見たかった長谷川等伯の「松林図屏風」を真っ先に見に行きました。
金印と違って大きな作品なので、観客も分散しており(それでも混んでいました)、ガラスケースのすぐそばで見学することができました。
色々な太さの線があり、「どんな筆を使って書いたんだろう?」と思っていたら、近くの人も同じ疑問を口にしていました。
少し離れてみると、本当に朝靄の中に松林がある、と感じることができました。
また屏風の折り畳みに応じて、手前には濃い松を、奥に曲がる部分には遠くにあるように描いてあります。
朝靄の中の静かな松林は、なんとなく東山魁夷さんの風景画と通じるものがあるかなと感じられました。
同じコーナーには、等伯の息子である長谷川久蔵の「桜図壁貼付」(京都・智積院)もあり、これは3年ぶりの対面。
円山応挙「雪松図屏風」(東京・三井記念美術館)も、屏風の折り畳み効果と遠近法を駆使しており、等伯の松とはまた違った魅力を発揮していました。
あなた達は一体誰?
すごかったのは、伝藤原隆信の「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」(京都・神護寺)が一堂に会したコーナー。
3幅揃うと迫力満点、また1幅がかなり大きいのです。
クールな目をした、意志の強そうな顔をして、少し微笑んでいる「伝源頼朝像」のモデルは誰なんだろう?
よく見ると、衣服の模様や太刀や帯の装飾などがとても華やかなので、お洒落心もあったのでしょうか。
この肖像画の名作のおかげで、「鎌倉時代」=「源頼朝」となってしまい、その後を引き継いだ北条氏が、あまり肖像画や肖像彫刻が知られていないこともあり、北条氏の影が薄くなってしまっているのではないでしょうか。
北条時宗の顔だって、全然浮かんでこないのです。
最近このクールなイケメンが足利尊氏の弟で同じくクールだった足利直義(ただよし)、伝平重盛像は足利尊氏、伝藤原光能像は足利義詮(よしあきら 尊氏の子)だという新説も紹介されています。
2人とも好きな人物なので、どちらでも構わないのですが、やっぱり頼朝の方がなじみがあっていいかな。
本物を見て感じたこと
「胎蔵界曼荼羅」(東寺)に描かれた、たくさんのエキゾチックな仏様たちを見ていたら、中央やや上の部分に、ピラミッドのような形が描かれていて、これが一体何を意味しているのか、いまだに分かりません。ご存知なら教えてください。
「雲中供養菩薩像」(京都・平等院)は、鳳凰堂の壁から抜け出して出張してきたのだと思うと、ちょっと阿弥陀如来様に申し訳ない気分になりました。
禅問答を表現した水墨画として名高い如拙「瓢鮎図」(京都・退蔵院)では、描かれた人物の顔がちょっとわかりにくくて、これは中国人なのか、日本人なのか、真剣に悩んでしまいました(中国人かな?)。
「源氏物語絵巻 柏木」(愛知・徳川美術館)はものすごい人だかりだったので、ちらっとしか見ることができませんでしたが、てっきり絵巻物だと思っていたのが、桐の額に入った1枚の絵になっていたのでびっくり!
保存上の配慮から、1932(昭和7)年に絵と詞書を切り離し、巻物状から桐箱製の額装に改められたそうです。
鶴岡八幡宮のブログで紹介した、神仏習合を代表する僧形八幡神坐像と神功皇后坐像(奈良・薬師寺)は、想像以上に大きくて、彩色がかなり残っているので感動しました。
藤原道長の日記である「御堂関白記」や、藤原定家の「源氏物語奥入」(源氏物語の注釈書)を見ていると、応仁の乱など数多の災厄を切り抜けて保存されたことが奇跡のように思われ、また命がけで後世に伝えようとした子孫の方々(近衛家や冷泉家)の努力に頭が下がる思いです。
「日本書紀」や「日本霊異記」は、少し読める個所もあり(単語を断片的にですが)、昔書かれた本を、今こうして少しでも読めることにとても感激。
未来の人たちにも、こんな感動を味わってほしいし、素晴らしい日本の宝物は大切に伝えていきたいものだと、心から思えた2時間でした。
帰りにミュージアムショップで、国宝を開設した雑誌2冊と、複製の絵巻物(信貴山縁起絵巻 延喜加持の巻)を購入しました。
秋のひと時、京都で国宝鑑賞はいかがですか?
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