山ノ内公会堂
円覚寺参拝を終えた私達は、次の目的地東慶寺へ。
お天気が良くて時間があれば、明月院も訪れたかもしれませんが、10月22日(日)は台風接近中のためとにかくひどい雨で、明月院はパスしました。
慣れない鎌倉歩きでまた道を間違えてしまい、東慶寺になかなかたどり着けません。
途中、「山ノ内公会堂」と立派な石碑のある建物が、総選挙の投票所になっているのを発見しました。
私達の投票所は地域の小学校(体育館)なのに、ここはとても立派な、由緒ありげな投票所。
「公民館」ではなく、「公会堂」となっているのも気になりました。
関西だったら大阪中之島にある、大阪中央公会堂しかイメージできない。東京だったら、日比谷公会堂かな?
投票に来る人たちでにぎわっていたので、写真撮影はできませんでしたが、フォートラベルのサイトにドクターキムルさんの「北鎌倉山ノ内公会堂」という旅行記がありましたので、興味のある方はそちらをご覧ください。
やっと東慶寺に到着!
この山ノ内公会堂で投票していた人に、東慶寺はどこにあるか尋ねると、もうすぐだと快く教えてくださいました。
確かにしばらく行くと、標識が見えました。階段を登れば、山門です。
円覚寺と大違いの、小さな山門でしたが、離縁を求める女性たちは、必死でこの階段を駆け上がったのでしょう。
拝観料は大人200円。公式サイトによると、北鎌倉駅から、普通に歩いて徒歩4分だそうです。
道を間違えた私達の感覚からいうと、全然4分ではたどり着かないように思えたのですが。
東慶寺について
この寺院は北条貞時(北条時宗の一人息子 9代執権)が創建し、開山(初代住職)は覚山尼(北条時宗の正室で貞時の母)だそうで、円覚寺同様、北条氏とゆかりの深い寺院と言われています(臨済宗円覚寺派)。
開山が覚山尼かどうかはともかく、北条得宗(とくそう)家(本家)にゆかりの尼寺だったようです。
東慶寺に駆け込めば女性の側から離縁できる女人救済の寺として、1871(明治4)年まで約600年間、縁切寺法を守ってきました。
豊臣秀頼の娘・天秀尼(母は側室)が、秀頼の正室・千姫(徳川秀忠の娘で家康の孫娘)の養女として8歳で東慶寺に入り(寺に入ることを条件に助命)、縁切寺法を徳川家康に認めさせ(「権現様御声懸かり」の寺法)、幕府直轄の寺院として、寺の格も高くなります。
ちなみに天秀尼は、7歳で大阪落城により捕らえられ、千姫の助命嘆願で8歳で出家(1歳上の兄・国松は、男子ということで処刑されています)、37歳で亡くなりました。
寺には父の豊臣家、養母の千姫ゆかりの品物も伝えられているようです。
1902(明治35)年に尼寺としての歴史に幕を閉じ、現在は男性の住職なのだとか。
本堂には釈迦如来坐像が祀られていました。
公式サイトの境内案内図によると、書院も立派な建物のようでしたが、パンフレットに境内案内図はないし、雨はひどいし、傘をさしていたので視界も限られていたためか、全然気が付きませんでした。
記念碑もあちこちにあるようですが、これも全然気が付かず。
宝物館である松ヶ丘宝蔵は、入館料大人300円を払って見学しました。
東慶寺は境内が緑豊かで、現在は「花の寺」になっているようでした。
駆込み寺の実態とは
『ウィキペディア』によると、東慶寺では、女性が駆け込んで来てもいきなり寺に入れず、3軒ある御用宿でまず預かって、女性の身元調べや示談に向けての交渉が行われました。
それでも離婚が成立しなければ、女性は足掛3年満24ヶ月、寺に入ることになるのです。
髪は切らなくてもよかったようですが、読経はしなければなりませんでした。
24ヶ月後に、女性は離縁状を手にすることができ、誰と結婚しても構わないということです。
ただ、食費や生活費が発生するため寺にそれなりの金額を納めねばならず、その金額によって、お花をお供えしたり来客に挨拶をするくらいの優雅な暮らし(30両必要)から、下女としての奉公(それでも8両必要)まで差がありました。
経済力がないと、離婚はできないというわけですね。
男子禁制については厳しく規定されており、基本的には寺外に出ることは出来ず、止むを得ない用事の際でも名札を持った上で尼僧が付き添いました。
実の家族(ことに男性)が面会に来ても、制約付での面会になりました。
重病の場合のみは寺外で養生できたようですが(男である医師は寺に入れないため)、寺外で養生していた期間は寺入りの期間には参入されなかったようです。
自由への道は険しそうですが、東慶寺に残る記録で判明する駆込み件数は、約400件。
実際の件数はその数倍ともいわれています。
女性の平均年齢は29歳で、最低20歳、最高54歳でした。
江戸時代も「熟年離婚」はあったのですね。
現代とあまり変わらない江戸時代の離婚事情に、少し驚かされました。
そういえば、大泉洋さん主演の「駆け込み女と駆け出し男」は、江戸時代の東慶寺を舞台にした映画だとか。
原作は、井上ひさしさんの『東慶寺花だより』だそうです。
鎌倉って、本当に文学作品のモデルによく登場する町ですね。
何度でも行ってみたくなりました。
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