HISバスツアー【梅田発】秋色の京都へ♪「嵐山・もみじ屋形船」「源光庵・悟りの窓」 夜の彩り!「高台寺ライトアップ&マッピング」でしょうざんリゾート京都の庭園と食事を堪能した後、私達は源光庵へ向かいました。
徒歩で源光庵へ
私達のHISツアーとほかのバスツアーとの違いは、HISツアーがしょうざんリゾート京都から、徒歩で源光庵へ向かうことです。
次々出発するバスを尻目に、12:15に点呼を済ませた私達は、ぞろぞろ歩いて源光庵を目指しました。
所要時間は15分ほどで、しょうざんリゾート京都の庭園の外周を歩くため、「外から見たらこうなっているんだな」というのがわかったりして、面白かったです。
まるでお寺のような面白い建物があったり、
いかにも老舗という感じのお醤油屋さんがあったり(松野醤油という有名店のようでした)、
市バス停留所(源光庵前)に、長蛇の列ができているのを発見したり(1回で全員乗車できるかな?と心配でした)。
そういえば私達も、昔、市バスで源光庵の紅葉を見に行ったものでした。
源光庵とは
京都市北区鷹ヶ峰にある曹洞宗の寺院です。
元々は臨済宗の寺院だったのですが、1694(元禄7)年に加賀・大乗寺の27代目卍山道白(かいざんどうはく)禅師がここの住職を務めたことから曹洞宗に改められ、現存する本堂も建立されました。
「迷いの窓」と「悟りの窓」から見える紅葉が有名で、この窓から紅葉を見たい!という人たちで、この日(11月23日)も大混雑。
女性添乗員の山口さんが団体の拝観手続きをしている間、しばらく待っていました。
いいお天気だし、抜けるような青空と飛行機雲が美しく、駐車場前や本堂前の紅葉もなかなかいい感じです。
源光庵の出口駐車場には13:05集合、それまで自由に拝観することになりました。
「迷いの窓」と「悟りの窓」
本堂に入ると、さっそくお目当ての2つの窓が見えました。
この窓は本堂が建てられた時からあり、それぞれに仏教の概念、禅の境地の意味が込められているとのこと。
「迷いの窓」は、角型に「人間の生涯」を象徴し、生病老死の四苦八苦を表現しているそうです。
一方「悟りの窓」は、円型に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現するそうです。
ありのままの自然の姿、清らか、偏見のない姿、つまり悟りの境地ということなのでしょうか。
見る角度によっては、迷いの窓の方がきれいに見えたりもすることもありました。
悟りには、まだほど遠いということでしょうか。
このシンプルで大胆な窓は、だれがデザインしたのかな?
とても斬新で美しいのですが、夜間や雨風の時はどうするんだろう? 障子や雨戸があるのかな?
本堂の血天井
源光院のもう1つの見どころは、本堂の血天井です。
この天井は、関ケ原の戦いの前哨戦で落城した伏見城の遺構です。
1600(慶長5)年7月、徳川家康の忠臣・鳥居元忠の一党1,800余人が石田三成軍4万と交戦し、城は落城。
多くの武将が討ち死にしました。
生き残った人々も自刃し、その血痕が残る床板が、供養のために天井に張り替えたものとか。
昔見たTBS大型時代劇の『関ケ原』でも、死を覚悟する鳥居元忠役の芦田伸介さんと、森繁久彌さん演じる徳川家康の別れのシーンは涙、涙でした。
源光庵だけでなく、東山七条の養源院(三十三間堂の隣)など7箇所で伏見城の血天井を見ることができるとか。
本堂の仏様たちの力で、戦死者たちは成仏できたと信じたいです。
庭園の紅葉も美しい
本堂横の、明かり障子のある部屋から、庭園が見えました。
「迷いの窓」「悟りの窓」にばかり注目が集まりがちですが、庭園もとても美しく、こちらの方が木々の葉の色は鮮やかなのではないかなと思いました。
HIS女性添乗員の山口さんは、「迷いの窓と悟りの窓を見たら、正直、ほかは何も見るところがない」というようなこともおっしゃっていましたが、この庭園もなかなか良かったです。
出口から見た本堂と、本堂前の楓です。
江戸時代初めには、この近くに芸術家・本阿弥光悦一族や多くの工芸職人が移り住み、芸術村が出現しました。
光悦の死後その屋敷は寺となり、光悦寺と呼ばれています。
帰りも徒歩でしょうざんリゾート京都まで帰り、バスに乗るとほぼ同時に、時雨が降ってきました。
歩いているときでなくてよかったです。今日はなんだか、ツイているみたい。
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