秋色北京 西太后が愛した頤和園1 宮殿区のみどころと、地面に文字を書くおじさんの謎

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地下鉄西苑駅から頤和園(いわえん)へ

11月3日(金・文化の日)~5日(日)の3連休を利用して、北京旅行に行きました。

私は北京空港では何度か乗り継ぎをしたものの、北京市内に出るのは初めて。

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地下鉄乗車の際のあまりの警備の厳重さや混雑ぶりに少々驚きつつも、地下鉄を乗り換えてまず目指したのが、西太后が再建し、北京最大の規模を誇る皇族庭園(皇家園林)である頤和園。

4号線の西苑駅で下車して頤和園の東宮門まで歩きます。

駅を出ると、路上に清朝時代?の人々の様子をテーマにした彫刻が並んでいました。

北京に来たことがある夫の話によると、こういう彫刻はよく見られるそうです。

駅から頤和園までは、バス停1つ分くらいの距離があると『地球の歩き方』に書いてあり、迷わずに行けるのかなと心配でしたが、道も広くて道標もあり、迷うことなく行けました。

東宮門

頤和園の正門で、皇帝たちが滞在し、政務をとった場所である「宮殿区」に通じています。

中央の門は皇帝や皇后専用の「御路」、その両側の門は王族や大臣、宦官や兵士たちはさらに脇の通用門を通るという、厳しい区別がありました。

門の扁額「頤和園」は、西太后の子である同治帝が死去した後、彼女に擁立されて即位した西太后の甥・光緒帝が揮毫したものです。

日本でもそうですが、君主などセレブは、後々自分の筆跡がこのような形で残るので、文字の練習は欠かせなかっただろうなと思いました(私は悪筆)。

ここにチケットオフィスがあるのですが、とにかくすごい人。

今日は日本は祭日だけど、北京は祭日じゃないはずなのに、どうしてこんなに観光客が(しかも中国人!)が多いんだろう?

入場料は季節によって違っており、この日は20元(共通券ではありません)。

とにかく他の団体と混ざらないように、はぐれないように気を付けながら入場しました。

仁寿殿の麒麟

東宮門をくぐると、皇帝が政務をとる仁寿殿が見えました。

1860年の第二次アヘン戦争で英仏軍によって焼失し、1888年に再建されました。

1902年以降は、光緒帝と西太后がここで外国公使などを接見したそうです。

離宮の中にあるせいか、想像していたよりもこじんまりしていましたが、比較的新しい建物なので煌びやかな装飾もあります。

内部には入れないようで、覗くことはできたのですが、ここまでが限界のようです。

そのかわり、とても印象的な、想像上の瑞獣である麒麟(きりん)の写真を撮りました。

麒麟とは、鹿の角、龍の頭、獅子の尾、牛の足からなり、全身はうろこで包まれた霊獣。

中国の伝説では「善悪を見分けられる仁獣」で、吉祥と威厳を表わすとされるそうで、キリンビールの商標にも使われているあの動物なのですが、かなりキリンビールの動物とは雰囲気が違うのです。

その理由はたてがみの有無だと気づきました。

キリンマークのデザインに隠された秘密を知っていますか? -キリン広報さんに聞いてみた(マイナビニュースより)

ちょっと仁寿殿の麒麟は爬虫類っぽいですね。やはり見慣れているキリンビールの方が好きです。

奇岩いっぱいの宮殿区

麒麟にも驚かされましたが、もう一つ印象に残ったのが、あちこちにある奇岩。

以前蘇州の庭園を訪れた時に見た、太湖石(たいこせき)という石ではないかなと思いました。

長江デルタにある蘇州付近の太湖から切り出された石が、はるばるここまで運ばれることを考えると、皇帝権力のすごさが実感できました。

徳和園は別料金

仁寿殿のすぐ北にあるのが徳和殿という建築群で、3階建の大戯楼(門の向こうに屋根が見えます)と頤楽殿から構成されます。

観劇を好んだ西太后が63歳の誕生日に建てた京劇の舞台が大戯楼、頤楽殿は、それを観るために造られた西太后専用の観劇室だそうです。

西太后ゆかりの建物なら見てみたかったのですが、共通券ではないので別料金(5元)。

時間的な問題もあったので、今回はパスしました。今度来たら、見学してみたいです。

地書をする人

さらに進んで湖の近くに行くと、人だかりのある一画を発見。

地面をよく見ると、何か変わったものがありました。

水で地面に筆文字を書いている男性を発見!

以前西安に行ったときにも、こういう人がいたのです。

日本ではこんな光景は見たことないけれど、さすが漢字の国中国は違うなと感心しながら見ていました(字も上手だし)。

後で調べてみると、これは地書(ディシュー)というもので、地面に文字を書くと全身運動になり、お金もかからないので引退後の世代(特に男性)に人気なのだとか。

中国のお爺さんが地面で書道する理由が予想外だった(NEVERまとめサイトより)

知らなかったので勉強になりました。

玉瀾堂(ぎょくらんどう)

地書の男性がいる門を入っていくと、仁寿殿よりもこじんまりとした建物が見えました。

ここが、光緒帝の居所であり、叔母の西太后によって軟禁された場所でもあります。

西太后の立場からすれば、光緒帝の政治に今一つ信頼がおけない上に(性急に改革を進めすぎたようです)、改革派の側近によって自分が幽閉されそうになったから、先手を打ってクーデタを起こしただけで、正当防衛だと思うのですが。

ロンドン塔などと比べると断然住み心地よさそうですが、自分で政治をしたかった光緒帝にしてみたら、牢獄と変わりなかったのでしょうね。

宣芸館

小さな門があり、扁額には漢字と満州文字が併記されていました。

私は気づかなかったのですが、頤和園の建物の扁額は二か国語併記が多いようで、圧倒的に高度な中国文明に飲み込まれながらも、必死に自分たちのルーツの満州文化を守ろうとしているように思えます。

その宣芸門をくぐると、光緒帝の皇后、隆裕皇后の居所である宣芸館。

中庭のイチョウ?の葉が黄金色になっていて、とても美しかったです。

さらに進むと、頤和園のシンボルである昆明湖周辺の絶景が待っているのですが、それはまた次回。

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