11月3日(金)の午後、北京最大の皇族庭園である頤和園(いわえん)観光に訪れた私達は、正門である東宮門から宮殿区に入り、皇帝が政務を行ったり居住していた(光緒帝の場合は軟禁も)エリアを堪能しました。
昆明湖畔の文昌閣
頤和園の面積の、4分の3を占めるのが、昆明池。
宮殿区にある宣芸園を出た私達の前に、その広大な池が姿を現しました。
湖の岸辺近くには、一面に枯れた蓮がありました。
湖のほとりに建つ文昌閣。
文昌閣
三層の建物ですが、城門としての機能もあるそうです。
近くに寄って見学することができなかったのが残念。
小島に建つ知春亭
昆明湖の東岸から橋を渡り、突き出した小島に行ってみました。
ここには知春亭という建物があります。
この辺りには楊柳(ようりゅう)がたくさんあるのですが、日本の柳よりも大きくて、葉もよく茂っているように思えました。
ここから見る昆明湖の景色は最高!
この塔が頤和園のシンボル、八角三層の仏香閣です。
内部には高さ5mの千手観音菩薩像が安置されているのだとか。
さっきの文昌閣も見えました。
遠くに見える橋は、十七孔橋(じゅうしちこうきょう)という長さ約150mの石橋で、橋の下にアーチが17個あります。
この橋も、ここから少し離れているようなので近くに行くのは断念しました。
偶然見つけた西太后の居所・楽寿堂
ガイドブックを持っていても、あまり地図が読めない私達。
適当に湖のほとりをうろうろしていると、また何やら人が多い場所を見つけました。
人の流れについていくと、立派な建物がありました。
この昆明湖に面した建物が、西太后が起居した楽寿堂。
中は非公開で、覗くだけでしたが、特に豪華絢爛というわけでもなかったように思えました。
「頤和園といえば西太后」と言われるほど、頤和園を愛した西太后。
1888年と1902年の2回にわたって頤和園を再興するために莫大な国家予算をつぎ込み、1年の3分の2を頤和園で過ごしたと言われています。
おかげで日清戦争前、清国は軍艦を購入することができず、日清戦争の敗因の一つになったという説も。
壮大な無駄遣いだったのか、それとも現代の公共事業に当たるものだったのか。
鶴や鹿の銅像や桃の形の香炉、太湖石なども、西太后の好みだったのかな?
私はこの旅行の前、NHKドキュメンタリーの『中国王朝 よみがえる伝説 悪女たちの真実 西太后』を見たので、西太后には非常に興味がありました。
その西太后の居所には行きたかったのですが、たくさんの宮殿区の建築群に圧倒され、見落としていたのです。
偶然ここに来ることができ、まるで西太后が、ちょっと私達に微笑んでくれたように感じられました。
長廊を歩く
十七孔橋は、昆明橋の南側にあるのであきらめましたが、湖の北岸一帯には、頤和園一番の見どころで、訪れる全ての人が散策するという長廊があるというので、私達も行ってみました。
長廊は昆明湖の北岸に沿って建てられている回廊で、長さは728m、柱間は273間あるそうです(中国庭園中最長)。
楽寿堂から西に行くと邀月門(ようげつもん)に出て、ここが長廊のスタート地点。
長廊の内部です。
よく見ると、梁などにとても美しい絵が描かれています(なんと8,000余枚!)。
『三国志』や『水滸伝』など日本人にもなじみのものがあるとのことですが、どの絵がどれだか、わかりませんでした。
湖の岸には大理石のような、白い石の柵があり、長廊からの眺めもなかなか中国風だなと感じました。
途中で一休みするのには、手すりに座るのがなかなかいいようです。
西太后もこの場所を歩いていたのかな。
排雲門
長廊の中央に設けられた排雲門の前には、昆明湖に面した大きな牌楼(パイロウ)という形式の門がありました。
扉がなく開放的で奥行きがなく、上に段差のある小屋根をいただく中国の伝統的な建築様式の門が牌楼です。
排雲門はこの建物。
門からは仏香殿がよく見えて、いい記念撮影ポイントでした。
もう少し時間と体力があったら、仏香閣の中も拝観するのですが今回はパスしました(別料金10元が必要)。
初体験 北京の公衆トイレ
この頤和園は広大な公園で、トイレを探すのに少し苦労しました(トイレまでの距離が長い)。
公衆トイレはきれいなのかなと心配でしたが、さすが世界遺産。きれいなトイレでした。
ただ、トイレットペーパーはありませんでした。
やはり中国旅行に行く場合は、トイレットペーパーはないと考えて、ティッシュを多めに用意するべきだと思いました。
ペーパーもトイレに流さず、備え付けのごみ箱に捨ててください。
中国のトイレ事情については、『中国のトイレ事情 紙は流せる?ニーハオトイレって?』(AllAbout旅行サイト)をご覧ください。
トイレ事情を知って快適に使いたいですね。
頤和園のテーマパーク 蘇州街
最後に私達が訪れたのは、北宮門(裏門)近くの蘇州街。
その名の通り、蘇州の町並みの一画が、そっくり頤和園に原寸大で再現されています。
これは江南地方(長江下流南岸地域)を好み、6回も行幸した清朝最盛期の皇帝・乾隆(けんりゅう)帝が造った区域。
彼こそ、この頤和園を最初に造った人物だったのです。
町の規模は東西約300m、64の店、14の牌楼が建ち、一帯を流れる后湖は蘇州河と呼ばれ、8本の橋が架けられています。
蘇州街には実際に売り子を置き、乾隆帝は買い物遊びを楽しんだのだとか。
私達もここで買い物を楽しみたかったのですが、時間と体力がなかったのと、別料金10元が必要だったので断念しました。
もし時間があれば、共通券50元を購入して、頤和園のすべての建物を見て回るというのも面白いなと思います。
きっと1日仕事になるだろうから、体力がないと難しいかな。
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