最近流行の検地と逃散(ちょうさん)
大河ドラマで学びなおせる日本史の2回目は、『真田丸』『おんな城主直虎』『西郷どん』と3年連続で登場した検地、そして『直虎』『西郷どん』と2年連続で登場した逃散について紹介します。
なんといっても、『西郷どん』第2話放映中、「逃散」という言葉に『直虎』ファンがざわつきだし、ツイッターの検索ワードで、『おんな城主直虎』がトレンドベスト10入りするという快挙を成し遂げたのが印象的でした。
大学入試センター試験2日目の夜のことでもあり、皆さん歴史用語には敏感になっていたのでしょう。
このシリーズを始めた時に、まず書きたかったのが、この話題。
大河ドラマで日本史を学ぶメリットについては、こちらをご覧くださいね。
検地とは何だろう?
『真田丸』で豊臣秀吉が、「検地とはなんじゃ。申してみよ」と、まるで日本史の授業のような質問をしてきたのにびっくりした記憶があります。
秀吉がこの頃後継者として期待していた甥の豊臣秀次は答えられなかったけれど、さすが石田治部(石田三成)さまは、すらすら答えておられました。
「諸国の田畑を調べ、その値打ちを定めることでございます」はいご名答。
田畑の面積や境界線(はっきりさせないと争いが起こります)、そして石高(こくだか)も調べます。
石高というのは、その土地からコメがどれだけとれるか調べること。
(1石=180.391リットル。俵で2.5俵。コメ150kg)
そのコメから年貢を取り立てて将軍家や藩主の蔵に入れ(蔵米)、蔵米が武士の給与となっていきました。
このように、武士が主君から、給与としてコメをもらう制度を俸禄制度と呼んだりしています。
今も昔も税金は減らしたい!
今も昔も、税金を取り立てる方は、もれなくきっちり取り立てたい。
けれど取り立てられる方は、少しでも節税、あわよくば脱税などを考えてしまいがち。
検地でも、田畑を実際に役人が測量するとなると、従来の申告制による検地と異なって隠していた田畑も見つかってしまい、税金が取られてしまいます。
マイナンバーカードの導入も、国民の(金融資産も含め)資産を正確に把握し、丸裸にしてしまうので導入までに賛否両論あったのです。
井伊谷では、今川家の家臣が検地のために訪れ、隠田がばれそうになった時、爽やかイケメンの井伊直親(三浦春馬)さんが、責任を全部家老の小野政次(高橋一生)さんに押し付けようとしていました(怒)。
まるでどこかのブラック中小企業の社長と部下じゃないですか!今も昔も同じです。
秀吉の場合、全国的に役人を派遣し、田畑の測量や調査をさせました。これが「太閤検地」です。
これについては、ツイッターで石田三成さまもつぶやいておられました。
恋の太閤検地
「測量させて貰う、貴方と私の心の距離を。」
— 石田三成 (@zibumitunari) 2018年2月15日
それに反発して各地で一揆がおきましたが、秀吉はことごとく鎮圧。
刀狩令も、一揆を防ぐために出されたのでした。
農民の抵抗
農民の抵抗としては、一揆が有名です。
「一揆=百姓一揆」と考えられがちですが、『直虎』で話題になった徳政一揆、信長や家康も苦しめられた一向一揆など、参加者が心を1つにし、共通の目的のために立ち上がることを広く「一揆」と呼んでいます。
農民の抵抗として『直虎』『西郷どん』で紹介されていたのが、逃散でした。
心を1つにした農民たちが、抗議のために耕作を放棄し、一斉に村から逃げてしまうことを「逃散」(ちょうさん)と呼びますが、これも一揆の仲間です。
農民全員が村から逃げてしまうと、コメの収穫もできず年貢も取れず、農民も困るのですが、領主も困りますよね。そこが狙い目で、農民の要求を通そうとするのです。
中世から戦国時代、そして江戸時代まで逃散は、農民たちの抵抗手段として存在しましたが、薩摩藩は城下町以外の農村部に郷士(ごうし)という、武士身分のまま農作業に従事する武士を配置し、農民たちに団結しないようにさせたたため、一揆や逃散は少なかったようです。
検見法と定免法
江戸時代になると、年貢の取り方に2種類の方法が見られるようになりました。
毎年役人が田畑を見回り、その年の年貢率を決める検見(けみ)法と、過去数年間の平均収量を基準にして一定期間の貢租を豊凶にかかわらず定額にする方法が定免(じょうめん)法です。
一見、検見法が合理的なように見えますが、毎年見回りに来る役人への接待など農民の負担は大きく、役人を派遣する幕府や藩の費用もかかります。
税率を決めるのは役人の胸三寸であるため、癒着や不正も起こってきます。
収入も毎年変化していたので、幕府領(幕僚)では、8代将軍徳川吉宗が享保の改革の一環として、検見法を廃して定免法を導入しました。
ドラマでも言われていたように、検見法と定免法、それぞれに一長一短はありそうですね。
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