京都市を流れる川は、東の鴨川と西の桂川。
この2つの河川は平安京の時代から物資を運び、風光明媚な景観を生み出してきました。
しかし時に、河川は水害をもたらします。
今回は、桂川の歴史と治水の歴史についてご紹介します。
鴨川と桂川を比較すると
両方とも淀川水系の一級河川です。
鴨川は、延長31km、流域面積210㎢。
桂川は、延長107km、流域面積1,159㎢。
鴨川が京都市をほぼ南北に流れるのに対し、桂川は京都市を西に流れ、南丹市、亀岡盆地を経て嵐山で京都盆地へ出て、伏見で鴨川と合流します。
ちょうと、大きな「く」の字型を描くような感じです。
鴨川と合流しても、大阪府と京都府との境界木津川、宇治川と合流するまで「桂川」となるので、鴨川とは延長距離、流域面積とも桁違い!
地元の方ならご存じなのでしょうが、私は今回調べてみて、初めてこの桁違いの事実を知りました(恥)。
桂川とその表記
鴨川は(河川法により「鴨川」に統一)、通称として、高野川との合流地点(いわゆる「鴨川デルタ」)より上流を賀茂川、それより下流を鴨川と表記します。でも発音はいずれも「かもがわ」。
それに比べると、桂川は何度もその名を大きく変えています。
河川法上はすべて「桂川」ですが、通称として源流から京都市右京区では「上桂川」、南丹市園部地区では「桂川」、南丹市八木地区から亀岡市までは「大堰(おおい)川」、亀岡市保津町から京都市嵐山までは「保津川」、嵐山からは「桂川」と呼ばれるのです。
「大堰川」や「保津川」はよく聞く名前ですが、初めて聞く人や外国人観光客は、同じ川だと思わず、混乱するかもしれませんね。
渡来系氏族・秦氏の治水対策
桂川も古代より氾濫の多い川で、渡来系の秦(はた)氏が入植して、開発や治水を行っていました。
秦氏は桂川に「葛野大堰(かどののおおい)」を築いて流域を開発し、「大堰川」の名もこの堰に由来すると推測されています。
「堰」は「せき」で、河川の流通を制御するため、河川を横断する形で設けられるダム以外の構造物(堤防の機能は持ちません)。
また下嵯峨から松尾にかけての桂川東岸の罧原堤(ふしはらづつみ)も、その際に築造されたといわれます。
これら秦氏による当地方の開発は、流域の古墳の分布から5世紀後半頃と見られています。
5世紀といえば、日本はまだ倭国と呼ばれ、雄略天皇とされる倭王の武が南宋に使者を送り、朝鮮半島に進出したり、高句麗と争ったりしていた時期。
彼らの進んだ土木技術は、当時の倭国の人たちには驚きだったでしょう。
秦氏は、山城国から丹波国にも進出し、亀岡盆地の湿地帯(湖だったという伝承もあります)の開拓に携わりました。
亀岡盆地の洪水対策
亀岡盆地周辺の神社には、出雲神話で活躍する大国主命(おおくにぬしのみこと)が、保津峡を開削し、亀岡盆地にあった巨大な湖の水を抜き、この地を豊かな土地にしたという伝承があります。
17世紀の初期(江戸時代前期)に、朱印船貿易でも活躍した京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が、急流と巨岩の続く保津川を開削し、材木など丹波の物資を、舟で京都へ運べるようになりました。
1885(明治28)からは、「保津川下り」も営業を開始します。
急流と巨岩の間をすり抜ける川下りは、スリル満点で今も大人気。
写真はトロッコ列車から撮影したものです。
保津川(桂川)の舟運で繁栄した亀岡ですが、盆地からの水の出口が狭い保津峡しかなく、たびたび洪水に見舞われました。
この対策として、南丹市に日吉ダムが建設されています。
日吉ダムは1972(昭和47)年着工、完成は25年後の1997(平成9)年でした。
あの難工事で有名な黒部ダムは7年で完成したけれど、このダムは、完成まで25年かかりました。
湖底に沈む村の住民たちとの補償問題が、難航したのでしょうか。
現在では、ダムによる町おこしが成功し、温泉やキャンプ場、釣りの名所として賑わっているようです。
桂離宮の水害対策
桂川といえば、思い浮かぶのが、日本を代表する観光名所の「桂離宮」。
私も昨年、初めて訪れました。
その時の旅行記はこちらです。
桂離宮は当日券で参観可能! 意外に知らない?参観申し込みの方法
桂離宮は、桂川のすぐ近くにあるのに、水害の時にはどうしていたのだろう?と気になって調べていたら、面白い記事を見つけました。
防ぐから凌ぐ~桂離宮から学ぶ(「まともに見ようよ 川と地域と私たちの生活」サイトより)
桂離宮の書院は高床式で、床下浸水で食い止められる構造です。
また、生きている笹を編んで作った「桂垣」は、洪水で流れてくる土砂流木などごみ類を、離宮内に入らないようにするためのフィルターの役割を果たしているのだとか。
先人の知恵に、頭が下がる思いです。
2013(平成25)年の台風18号
今から5年前の2013年9月に発生した台風18号は、各地に甚大な被害をもたらしました。
保津川渓谷から溢れ出た濁流で嵐山地区は浸水し、濁流に飲み込まれた渡月橋の映像は、まだ記憶に残っているのではないでしょうか。
南丹市や亀岡市も、浸水や断水など、かなりの被害が出ました。
私は水害の1週間後に嵐山を訪れることがあったのですが、旅館や商店などはまだ後片付けに追われ、洪水の被害の大きさに言葉もありませんでした。
普段観光客でにぎわっている界隈なので、まさかこんなことになるなんて、と感じたのです。
今回の気づき
今回の記録的豪雨は、各地で甚大な被害を出しています。
濁流に飲み込まれそうな渡月橋の映像も、ニュースでよく見かけました。
河の氾濫なんて、多くの人は、一生に一度も経験しないかもしれません。
でも昔は、ごくありふれた災害だったのです。
どれだけダムや河川整備がされていても、10年に一度、50年に一度、100年に一度レベルの災害は、突然起こるもの。
水害が起こると床上浸水や土砂崩れ、インフラの遮断や交通網の混乱など、各方面に大きな影響が出ます。
政府や自治体には災害対策を頑張ってほしいですが、私たちも防災意識を忘れず、自分や周囲の人たちを、危険から守っていけるようにしたいですね。
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