ハバロフスクの散歩道 アムールスキー並木通り

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2018年8月12日(日)、イルクーツクからオーロラ空港の深夜便で、早朝のハバロフスクに到着しました。

イルクーツク空港は国内線の方が充実 オーロラ航空でハバロフスクへ

2018年10月14日

到着したハバロフスクは、かなり日本に近い極東地域の中心地。新潟市の姉妹都市だそうです。

ここも国際線と国内線とが別々の建物のようでした。

空港からハバロフスクの駅前まで、タクシーを利用。ガイドブックの目安の値段通り、500ルーブルで行ってくれたので良かったです。

ハバロフスクの名前の由来

駅前に、立派な銅像が立っていました。

イルクーツクのように、この町を築いた創始者かなと思っていたのですが、この町が「ハバロフスク」と呼ばれる原因となった人物だそうです。

その人の名は、エロフェイ・ハバロフ。探検家でした。1649年に、この地を訪れています。

ハバロフスクと命名されたのは、それから約200年後の1858年。孝明天皇の反対を押し切って、井伊直弼が日米修好通商条約を調印し、アメリカとの貿易に踏み切った年です。

それからさらに150年以上が過ぎた現在、ハバロフさんは、この町の変化をどう見ているのでしょうか。

アムール川まで、並木通りを早朝散歩

早朝にハバロフスク駅前に到着したため、まだ街は賑わいを発揮できず、人気も少なかったです。

困ったときは川に行こう!じゃないですが、とりあえずアムール川に行ってみようということになりました。

ハバロフスク駅からアムール川の岸辺までは、アムールスキー並木通りを通ります。

ここも敷石の間に雑草が生い茂っていたりなど、歩道があまり整備されていない箇所があったりしましたが、緑豊かな並木道を歩くのは、なかなか面白かったです。

時にはこんな、インパクトのあるモニュメントも。巨大バラライカです。大迫力!

しかしちょっとした誤算も。

私たちは、駅からアムール川まで、そんなに時間もかからないだろうと思っていたのですが、実は2kmくらいあったのです。

行けども行けども川が見えてこず、日曜日の、しかも早朝ということもあって、店がどこも開いていません。

ハバロフスクで、朝食をどこかカフェで食べよう!という人はいないのかな?

並木通りで出会った秋田犬

アムール川を目指し、疲れた足取りで歩いていると、犬を放し飼いで散歩させている男性を見かけました。

私はどちらかというと、犬(特に大きな犬)は苦手。

噛まれないかと心配していると、夫が、「あの犬は秋田犬と違う?」と言い出しました。

犬には詳しくないですが、そう言われれば、そんな気もする。

フィギュアスケートのザギトワ選手がプレゼントされた秋田犬ですが、こんなところで会えるとは。

ロシアで秋田犬がブームというのは、どうやら本当みたい。

私たちが秋田犬に興味を持っていることを知ったロシア人男性の飼い主が、犬を呼んで、私たちに名前を教えてくれました。秋田犬は2頭いたのです。

「ウミ」と「カイ」という名前の親子でした。おとなしい犬でよかった!

優しい飼い主さんに、いつまでもかわいがってもらってね。

青空の下で見たかったウスペンスキー教会

アムール川の近くに、とても美しい教会がありました。

白い壁と青い屋根、3つの尖塔がまるでテーマパークのお城のような、ウスペンスキー教会です。聖母被昇天教会という意味らしい。

教会なので、無料で入場できそうですが、どこかカフェで休憩したくて、今回は見学をパスしました。

昔ここにあったロシア正教の大聖堂が、ロシア革命後の1930年代に取り壊され、その大聖堂の代わりに2002年にこの教会が建設されました。だから新しくて美しいのですね。

とても美しい建物なのに、空が灰色なので、なんだか寒々しい。どうせなら、昨日のイルクーツクみたいな、青空の下で見たかったな。

イルクーツクの街角を歩こう4 旧市街の美しい建築

2018年10月12日

コムソモール広場のオベリスク

教会の近くには、オベリスクもありました。

1956年10月、広場には極東におけるロシア内戦の英雄にちなんで、高さ22mの記念碑が建てられたそうです。

ロシア革命後、反革命勢力(白軍)がシベリアで一時政権を樹立していたこともあり、日本などがシベリアに出兵するなど、極東は混乱していました。

私たちが知らない、複雑で悲惨なロシアの歴史がありそうです。

余談 コウノトリとの関係

以前豊岡市の「兵庫県立コウノトリの郷公園」を訪れたことがあるのですが、そこで飼育されていたコウノトリは、ハバロフスク地方から送られたものでした。

ハバロフスクから合計12羽を贈られたコウノトリの郷公園では、繁殖に成功し、2012年には兵庫県のコウノトリ4羽がハバロフスクへ寄贈されたとか。

思わぬところで、ハバロフスクとのご縁を感じられたのでした。

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