2019年7月8日(月)、ピーチで早朝、関空から福岡へ移動しました。
行先は、福岡県の水郷・柳川です。
関空を7:05に出発し、福岡空港には8:20に到着しました。早いです!
どこか懐かしい、水郷柳川の風景
私たちの柳川でのお目当ては、以前NHKの『英雄たちの選択』で紹介されていた、立花宗茂の子孫の邸宅を料亭にしたという、「柳川藩主立花邸 御花」。
西鉄柳川駅からは、西鉄バス市内循環線に乗って、その名も「御花前」というバス停で下車。
西鉄柳川駅の観光案内所前には、立花宗茂と誾千代(ぎんちよ)夫婦を大河ドラマに!という幟がありました。毎年この夫婦は、大河ドラマの主役候補になる2人。地元も力が入ります。
御花前に到着したのが、10:15頃。やはりピーチだと、圧倒的に早いです。
バス停からしばらく歩くと、水郷らしい風景や立花邸の立派な建物が迎えてくれました。
私たちは「Web限定 柳川日帰り満喫プラン」を申し込んだのですが、川下りの時間にはまだ余裕があり、せっかくなので、柳川が生んだ文豪(詩人・童謡作家・歌人)・北原白秋の記念館に行くことにしました。
柳川の町並みも堪能。
これは白秋の歌碑かな?
どこか懐かしい感じのお店が並んでいました。
水難安産の神として崇敬を集める、沖端水天宮。
こんなところにも、水族館がありました。
北原白秋の生家
水族館を過ぎてしばらく行くと、白秋記念館です。
白秋は、1885(明治18)年、柳川の酒造業北原家の長男として誕生し、19歳までここで過ごしました。かなり大きな店兼住宅のようです。
入館料大人1人500円を払って、最初に目にしたのがこれ。
『文豪とアルケミスト』というゲームですね。北原白秋も出ていたとは! 美少年すぎ!!
さっそく上がってみました。下は家族が食事をした部屋だそうです。
この建物は、1901(明治34)年の大火災で大半を焼失しましたが、昭和に復元されました。
昔の住宅の様子が、よくわかります。
仏間に置かれた白い物体は、なんと、白秋のデスマスクでした。あまり見ないのでびっくり!
ちゃんと欄間(らんま)もありますね。
上の写真は、「父の部屋」。金庫室のような部屋で、家族もなかなか入れなかったとか。昔の商家のご主人の暮らしが何となくわかります。
庭や離れも美しいです。
こちらは酒屋の店先。
使用人が食事をする場所でした。
土間を利用して、白秋関係の展示がありました。児童雑誌『赤い鳥』が大迫力!
これが本物の北原白秋。さっきの美少年と大違い! ちなみに下が、彼の(本当の)少年時代。
驚いたのは、詩を詠む白秋の肉声が聞けたこと。とてもよかったです。
肉声が残る時代の人なんですね。
作詞王・北原白秋
蔵の中にも、白秋に関する展示がありました。
白秋を師と仰いだ韓国詩人・金素雲の著作の展示コーナーもあります。
個人的にすごいなと思ったのが、白秋が作詞した校歌や社歌・新民謡の数々。
母校・伝習館の校歌は当然として、
同志社や関学も、作曲家・山田耕筰とペアで創ったと知りました。
『ちゃっきり節』『松島音頭』なども、彼が作詞した、新しい民謡だったとは。恐るべし白秋。
さらに進むと、白秋記念館です。ここは内部撮影禁止だったのですが、北原白秋と山田耕筰を描いた映画『この道』が公開されたということを、ここで初めて知りました。
晩年(1942年没)は当時の世相を反映し、国家主義的な作品を多く手掛けたという側面もありますが(『万歳ヒトラー・ユーゲント』や、皇紀2600年奉祝曲『海道東征』など)、童謡だけでなく、多くの歌を作って人々に親しまれた文豪なんだなと改めて感じました。
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