2019年8月31日、440年続く老舗・山ばな平八茶屋で、ちょっとぜいたくなランチを頂いた私たちは、次に修学院離宮を当日参観で訪れました。
13:30開始のガイドツアーがいよいよ始まります!
修学院離宮を造営した後水尾上皇
修学院離宮は、江戸時代初期、後水尾上皇によって造営された離宮です。
天皇在位中に2代将軍徳川秀忠の娘・和子(母はあの浅井三姉妹の「江(ごう)」)を中宮とする(させられる)も、「紫衣事件」で幕府と対立・譲位(1629年)した、あの後水尾天皇です。
離宮は譲位後の1655年(桂離宮より30余年後)から着工され、1659年頃に完成しました。
元々この土地(修学院村)には、後水尾天皇の第一皇女(母は和子入内前から天皇と関係があった四辻与津子)梅宮が出家して草庵を営んでいましたが、別荘としての適地を探していた上皇がこの地を気に入り、彼女の草庵を大和に移して離宮を造営しました。
ちなみに、やりたい放題の父親に無理やり移転させられた!というわけではなく、梅宮も俗世間から離れることを望み、大和移転を望んだそうです。
下離宮(下御茶屋)
最初に私たちが訪れたのは、下離宮の御幸(みゆき)門。花菱紋の透かし彫りが施されています。
ここから下離宮に入ります。
後水尾上皇の御座所・寿月観(じゅげつかん)。「寿月観」の額は後水尾上皇の筆です。
「一の間」には三畳の上段、床や琵琶床、飾棚があります。
襖には、中国の故事に取材した「虎渓三笑」の絵。
庭園の庭も素晴らしい。
左側の滝は「白糸の滝」、その上の三角の石は「富士山」を象徴しているのだとか。
松並木
この離宮の最大の特徴は、その広大さ。
上・中・下に離宮(御茶屋)があり、それを松並木が結び、その両側には田畑が広がっています。
明治になるまで、離宮全体を囲む垣根はなく、自然に対して開放されていたのだとか。
松並木もただの畦道で、明治天皇の行幸を機に馬車が通行できるように整備され、松並木が植えられたそうです。
1964年、離宮の間に展開する8万㎡にも及ぶ水田畑地を宮内庁が買い上げ、景観保持のため地元農家と契約を結んで耕作してもらっています。
ちなみに収穫物は農家のものだそうです。離宮で農業なんて、ちょっとお得感があるかも?
こんなのどかな田園風景が、まさか離宮で見ることができるとは思ってもいなかったので、本当に驚きました!(ちょっと生活感もあるし)。
これが離宮の広大さの秘密! とにかく広くて(ツアー時間80分)アップダウンもあるので、気を付けてくださいね。
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