2019年8月11日(日)、午前中でブハラ観光を終えた私達は、サマルカンドへ移動しました。
憧れのアフラシャブ号 夢の超特急の名前の由来
今回のウズベキスタン旅行では、タシケントからヒヴァまでは飛行機で移動しましたが、その後はヒヴァ~ブハラ~サマルカンド~タシケントと、鉄道を利用する旅でした。
その中でブハラ~サマルカンドは、夢の超特急アフラシャブ号に乗ることができたのです。
「アフラシャブ」というのは、サマルカンド北部の遺跡の名前。
モンゴル軍に徹底的に破壊されるまで、サマルカンドの街は、アフラシャブの丘の上に築かれ、繁栄していました。
元々この超特急は、ウズベキスタンの首都タシケントからサマルカンドを結んでいたのですが、2016年からは、ブハラへと延長されたそうです。
サマルカンドを走るので、それにちなんだ名前を付けるのは当然だと思うのですが、やはり「モンゴルの来襲」というのは、ウズベキスタンの人々にとって大きな意味があるようです。
ヒヴァからブハラへの車内で見た、ウズベキスタン軍のプロモーションビデオを思い出しました。
アフラシャブ号でサマルカンドへ
ブハラ駅は、白と青を基調にした美しい駅でした。
駅には売店もあるし、両替もできてとても便利でした。
アフラシャブ号は、ブハラ駅が始発なので、写真撮影には向いていました。
いったい何両連結しているのかな? 長いです! 各車両ごとに乗務員さんがいて、昨年乗ったシベリア鉄道が思い出されました。旧ソ連の影響は大きいです。
料金は3人で25万スム。日本円で3,500円もしないくらい。切符は一昨日、ブハラ到着時に購入しておきました。
車内の様子です。座席は2×2。車両中央を境にして、進行方向向きと逆向きが分かれています。
モニターも付いているし、快適な乗り心地。スーツケース置き場もありました。
足下は広いし、トイレもきれい! 日本の新幹線と遜色ありません。
雄大な車窓風景が続くのですが、体調がまだ万全ではなく、いつもより寝ていました。
ブハラを15:50に出発し、サマルカンド到着は17:20。
グーグルマップの所要時間は、無視してください(位置関係だけ見てくださいね)。
サマルカンドもたくさんの乗降客で混雑していました。
立派な駅舎です。これも旧ソ連の影響かな。
サマルカンド~タシケントの切符購入
駅に到着すると、いつも決まってすることは、次の行程の切符を購入すること。
今回購入するのは、明後日8月13日(火)のサマルカンド~タシケントの切符です。
この区間も超特急アフラシャブ号に乗りたかったのに、残念ながら全て満席!
かなりショックだったのですが、仕方ない。1人78,000スムなので、3人で234,000スムです。少し安くなったのかな?
路線バスが来ない
サマルカンドでも、駅と旧市街とは離れていました。
『地球の歩き方』には、「頻発している3番バスに乗れば、新市街を経由して約20分で(旧市街の中心部)レギスタン広場に着く」と書かれています。
それを信じて、駅前に群がる白タク運転手を振り切り、駅前の公園を抜けた先にあるバス乗り場に向かいました。
でも、待てど暮らせど3番のバスが来ない。他のバスは来るのに。
地元の人が「大きなパーティーがあるから、バスは来ない」と言っていたのですが、いったいこれは何だったのだろう?
後であれこれ調べ、年によって日が移動する「クルバン・ハイート(犠牲祭)」が今年は8月12日なので、それかもしれないなと思ったのですが、よくわかりません。
ようやく来た3番のバス! 料金は1人1,200スムでした。
これに乗って旧市街地の近くまで乗り、地図アプリを頼りにホテルまでかなり歩くという、ブハラと同じ(炎天下ではなかったので、ブハラよりは少しマシ)シチュエーション。
ようやく、ホテルイションチに到着することができました。もう少し便利な場所に、駅やバス停を作ってほしいと思わず愚痴がこぼれます。
サマルカンドのホテルは、ぎりぎりになるまで日程が決まらなかったので、狙っていたホテルが満室だったのですが、もしかしたら犠牲祭の影響もあったのかな?
犠牲祭やラマダン明けなど、大きな祝日の前後は、ホテルの予約などは早めにしておくといいかもしれません。
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