2019年3月30日(土)~31日(日)、明智光秀の生誕地を訪ねる旅に出ました。
訪れるのは岐阜県の恵那市と可児(かに)市。いずれもあまりなじみのない土地です。
最初の30日は、まず恵那市を訪れました。
恵那市観光協会で偶然の出会い 「トコトコ恵ちゃんバスツアー」
新幹線と「ワイドビューしなの3号」で、8:41に中央本線の恵那駅に到着しました。
恵那市はバスツアーの途中に立ち寄ったことがあるだけ。ほとんど初めての場所です。
とりあえず情報収集のため、駅前にあるえなてらす恵那市観光物産館に行ってみました。
そこで偶然、本日9:30に出発する、明智光秀の地を巡るバスツアーがあることを知りました。
恵那市観光協会主催のバスツアー「トコトコ恵ちゃんバスツアー」で、「戦乱の東美濃 土岐明智氏ゆかりの史跡めぐり」というコース。
ラッキーなことに、この日は当日に申し込んでも受け付けてくれました。ツアー代金は大人1人4,800円。
ちなみに、今年(2020年春)も「明智光秀ゆかりの史跡めぐり」コースはありますが、コースは2種類あり(明智城跡コース:5,200円 妻木城跡コース:4,800円)、事前予約が必要になっていますので注意してくださいね!(大河ドラマ放映効果で人気が出そうです!)
お牧の方(光秀の母)墓所
バスに乗り込み、地元ガイドさんによる明智光秀や大河ドラマ『麒麟がくる』にまつわる話などを伺いながら、えなてらすで購入した朴葉寿司(470円)で遅い朝食。
ツアー参加者には、明智光秀に関するパンフレットや、今日のバスツアーのための丁寧な資料(A4両面5枚)も配布され、なかなかお得感がありました。
バスが最初に向かうのは、明智光秀の母・お牧の方(『麒麟がくる』では石川さゆりさんが演じます)の墓。
光秀の母親って、恵那市で亡くなったのかな?
光秀が丹波国八上(やがみ)城を攻めた時、母を人質にして八上城主の波多野兄弟と和睦交渉を行ったけれど、信長が波多野兄弟を磔にしたため、母親も八上城で磔になったと聞いたことがありました(現在この話は、多くの歴史学者から「真実ではない」とされています)。
ガイドさんによるとこれは遺体を収めた墓ではなく、後世の里人が、光秀の母の徳を慕って(!)建立した墓のようです。
徳川8代将軍吉宗の時代(1743年)に建立され、「謀反人光秀」とされた当時の世評を憚って「南無阿弥陀仏」とだけ刻まれました。
そして樹齢400年を超える「高野槇(こうやまき)」の木を、お牧の方にちなみ神木として、今もなお崇拝されているそうです。
お牧の方には関係ないけど、明智光秀といえば、やはりこれでしょうか。
幻の明知城跡
次に訪れたのは、白鷹城とも呼ばれる明知城跡です。
この辺りを支配した遠山明智氏(藤原氏系の明智氏で、清和源氏や土岐源氏の流れを引く明智光秀とは別の一族)の居城です。源頼朝の重臣、加藤景重(かげしげ)がここ明知を含む遠山荘の地頭に任じられ、それ以降、遠山明智氏が代々支配する土地でした。
明智は明智でも、明智光秀とはちょっと違う。明智光秀生誕の地については、恵那市も名乗りを上げているけれど、歴史家の先生方によると、恵那市はちょっと分が悪いようでした。
光秀ゆかりの城かはさておき、この城は標高530mの山に築かれた、天険の地形を巧みに利用した平山城。
大小23個所の土盛(どもり)砦が原型のまま残っており、お城ファンにはたまらないのだとか。
ガイドさんが教えてくれた、カタクリの花。初めて見ました。美しいですね。
やがて見えてきたのが、光秀の学問所と伝わる万ヶ洞天神神社。
京都(嵯峨天龍寺)の学僧を招き、ここで学問に励んだそうです。
天神様といえば梅。ここでも梅が咲いていました。
本来なら本丸跡まで散策するはずでしたが、雨が降り始め、道が滑りやすいということで断念。
正直ちょっと残念でした。本丸跡、見たかったな。
日本大正村・旧三宅家を見学
お牧の方の墓所や明知城跡は、恵那市の観光施設「日本大正村」の中にある施設でした。
万ヶ洞天神神社を下っていくと、立派な邸宅が見えます。
この辺りを支配した遠山明智氏に仕えた有力農家・三宅家の住居が、明智町馬木地区から移築されていたのでした。
この建物は、1688(元禄元)年に普請されたのだとか。
内部な養蚕のため板の間が拡張され、三間取り(広間型)から四間取り(田の字型)に改造されています。
3月がもうすぐ終わろうとしていますが、お雛様が展示されていました。こういう旧家で見るお雛様も、なかなか味わい深いなと思いました。
コメントを残す