典型的な山城 安土城より標高が高い!
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』ゆかりの岐阜城は、標高329mの金華山にある典型的な山城です(下の写真の左の山頂)。
2006年には、日本城郭協会が認定する「日本100名城」にも選定。
前回の「松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも)」で、信長の正室・帰蝶さまが「この石段は急すぎる。私はもう疲れた」と言った安土城は、標高198mほど。
どう考えても岐阜城の方が断然標高が高い! でも戦争の時以外は、麓の館で暮らしていたのです。
帰蝶さまは、この城(斎藤道三の時代は「稲葉山城」)にはあまり登らなかったかもしれません。
一方、安土の場合は「信長の家」だから、ご家族も山頂の本丸近くで生活していたはず(山麓は家臣の屋敷)。
徒歩、騎馬、或いは輿(こし)に乗ったにしても、疲れるか、乗り物酔いするかの、どちらかでは? 想像すると、大変そうです。
金華山に登る体力も時間もない私達は、ぎふ金華山ロープウェイで山上へ登りました。所要時間は約3分です。
ロープウェイ山頂駅を出ると、「天下第一の門」。
信長の天下統一への第一歩を記念して建てられた門です。
これも山麓で見た「信長公居館跡」と同様、冠木門でした。立派ですね。
親子で国盗り 斎藤道三のパワー
私にとって、岐阜城と言えば斎藤道三。
『国盗り物語』の彼は、小説でもドラマでも素敵でした。
ところがその大河ドラマ放映中、従来彼一代で成し遂げたと思われていた美濃の国盗りが、実は親子二代に渡っていたものだとする新史料が発見されるという展開に!
その後研究が進み、岐阜城の案内板にも、ちゃんと父子の国盗りとして書かれています。
1956(昭和31)年に建てられた模擬天守です。
城へ行く途中には「福閻魔大王」の祠もありました。
岐阜城内で道三、信長、光秀たちに会おう!
いよいよ岐阜城の内部へ!
訪れたときには、こんなポスターも! 各地の武将隊が集結?!
内部は史料展示室。ちなみに現在は、大河ドラマに併せてリニューアルされているようです。こちらをご覧ください。
私達が訪れた2014年2月、1階には武器や武具がずらり。
忍びの道具と大工道具ってよく似ているなと思います。
2階と3階では、岐阜城ゆかりの人々が紹介されていました。
織田信長はもちろん
明智光秀(右)と、天才軍師・竹中半兵衛重治。
そして斎藤道三! どこから見ても、人のいいおじいさんにしか見えません。
とても娘婿に毒茶を飲ませる人とは思えない。
日本史の教科書に登場する楽市令の禁制札や
天下布武の印。信長ファンなら、複製でも感動でしょう。
永楽通宝や
南蛮渡来の品々も展示されていました。
城からの眺めは素晴らしい!
登るのは大変だし、冬は寒い金華山山頂にある岐阜城。
でも、城からの眺めは絶景です。
斎藤道三が討ち死にしたのは、どの辺りかな?
「美濃を制する者は天下を制す」というのは、司馬遼太郎さんが書いた小説の一節だけれど、道三や信長も、この景色を見ながら天下取りの野望を抱いていたかもしれませんね!
岐阜城の一番の見所だと思いました。
豊臣秀吉ゆかりの地も!
岐阜城と言えば、斎藤道三と織田信長しか思い浮かばなかったのですが、意外な人物ゆかりの地もありました。
それは豊臣秀吉! 「千成瓢箪」発祥の地はここだそうです。
木下藤吉郎と名乗っていた時代に稲葉山城を奇襲し、成功したことを信長本隊に伝えるため、槍の先に千成瓢箪をつけて岩の上へ登ったのが始まりなのだとか。なんだか縁起のいい場所ですね。
展望レストランで天下を制する夢を食べよう
岐阜城は模擬天守だけでなく
岐阜城資料館があったり(このときは見学していません)
井戸跡もありました。
さらに進むと、展望レストラン「ポンシェル」。
絶景を見ながら、食事ができます。
岐阜城らしく「織田信長」という日本酒と
2012年のご当地B級グルメでグランプリを受賞したという「信長どて丼」。
豚のホルモンと牛すじを、岐阜赤味噌やみりんなどでコトコトと煮込んだものです。
ご飯にとてもよく合って、ボリューム満点!
こんな絶景を見ながら食べると、まるで天下を取った気分になれそうですね!
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