丹波の光秀は名君! 明智藪で由良川治水
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』も、いよいよ大詰め。
本能寺の変へ至る経緯を描くのに大変なのか、あまり登場しない光秀の丹波攻めですが、実は光秀は丹波では大人気らしいのです。
その理由は、光秀が丹波で善政を敷いたから。前回の『麒麟がくる』「月にのぼる者」でも、降伏した丹波の国衆(くにしゅう 地方の有力武士)には、光秀はとても優しかったですね。
城下町を発展させ、治水事業を行い、税を免除するなど、福知山では特に人気があるようです。
2019年4月13日(土)、まず福知山城を訪れた私達は、天守閣から由良川を望むことができました。
その時感じたのが、この城は、川の合流点に建てられているということ。
地図にあるように、由良川と土師川(はぜがわ)が合流しています。
川は人々の暮らしを潤す一方で、度々洪水を起こしていました。この治水のため、光秀が築いたのが明智藪。
天守閣から見るだけでは物足りなくて、実際に行ってみました。
私達が訪ねたときは、はっきりとした案内板がなかったのですが、だいたいここかな?
「明智藪」と呼ばれたのは戦後のことで、昔は「蛇ヶ端(じゃがはな)御藪」と呼ばれていました。
昭和期の研究で、光秀が水害対策で造営したものではとの伝承が取り上げられ、戦後から「明智藪」になったとのこと。
両丹日日新聞2020年2月27日のニュースによると、たしかに光秀が築いたという証拠はなく、真相は明智藪だけに「藪の中」らしいです。
光秀を祀る御霊神社
次に訪れたのは、光秀が神として祀られているという御霊(ごりょう)神社。
実は「御霊神社」という神社は日本各地にあるのです。
その祭神は様々で、祖先の霊を祀るものもありますが、特定の人物の霊(しばしば怨霊)を鎮めるために建てられたものも多いです。
福知山の御霊神社も、光秀の怨霊を鎮めるために建てられたのでしょう。祟りがあったのかな?
その御霊神社は、お城祭りで華やいでいました。明智光秀が来年の大河ドラマになったので、盛り上がっていますね!
私達も参拝です。
立派な拝殿。主祭神は穀物の女神である宇賀御霊大神(うがのみたまのおおかみ)ですが、江戸時代に福知山城主となった朽木(くつき)氏が、福知山に善政を敷いた光秀の合祀を認め、この神社名になったのです。
明智光秀と言えば、「本能寺の変」の逆臣というイメージがまだ強い時代ですが、丹波の人たちには人気があったことがわかります。
叶石(別名子持ち石)という礫岩。願いが叶うと言われています。
1984年に建立された「堤防神社」。堤防をご神体とする神社は全国でもここだけ。福知山市が、いかに洪水に苦しめられてきたかが実感できる神社です。
参拝を終えて戻ると、隣接する御霊公園では、ちょうど福知山成美高等学校の吹奏楽部が演奏していました。
数々のコンクールで活躍しているクラブのようですね。
お城祭りに関連して、大人気の城郭考古学者、千田嘉博先生の講演会も! もちろん満席。見られません。
明智茶屋で光秀御膳
御霊神社から福知山駅へ戻るため、町中を歩いていると
歴史を感じる建物に出会えます。
1970年3月まで福知山で活躍したC58を展示している、福知山鉄道館ポッポランド2号館もありました。
300mものアーケードがある新町商店街。大河ドラマで紹介されると、もっと人が来るかな?
駅の近くに、丹波茶屋という店を発見。
面白そうなので入ってみました。
「光秀御膳」というメニューがあったので、早速注文。
光秀ゆかりの福知山をめぐる旅の、いい締めくくりになりました。
福知山出身者です!子供の頃明智薮沿いの堤防良く歩いて歩いて家へ帰りました!当時は明智薮とは知りませんでした!福知山を離れてから福知山城天守閣が建造されました!懐かしく堤防沿いの画像拝見いたしました!御霊神社も猿の檻があって…猿良く見に行ってましたねー!祖母との思い出ですね、御霊神社で仮面ライダーショーも開かれたりしてて興奮した思い出有ります!懐かしい
こんにちは。はじめまして。コメントありがとうございます。
「明智藪」と呼ばれて注目されたのは、近年のことかも知れません。
懐かしく思い出していただけて、よかったです。
ありがとうございました。