尾高惇忠の家も商売をする豪農だった
2019年3月29日(日)、今年度のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一ゆかりの地を訪ねました。
東京駅そっくりなJR深谷駅からタクシーに乗り、最初に訪れたのは
栄一の10歳年上のいとこであり、学問の師でもあった尾高惇忠(通称新五郎)の生家です。
歩いてなら1時間以上かかるそうだし、
3月末だというのにこんな雪! タクシーのありがたさがよくわかります。
彼の家も渋沢栄一の家と同じく豪農で、「油屋」という屋号でも親しまれ、菜種油や藍玉の製造販売や養蚕などを、米作と共に行っていました。
尾高惇忠の曾祖父・磯五郎が建てたと伝わるこの家は、この地方の商家建築の趣を残す貴重な建物です。
栄一が生きた時代の面影を、そのまま残しているわけですね!
入場無料で玄関先を見学
私達が訪れたときは、新型コロナウイルスの影響なのか、玄関先のみの見学。
入場料は無料でした。
ドラマではまだ若い尾高惇忠(通称新五郎)ですが、年を取るとこんな顔!
若い頃から色白で長身、そして目に力があって、印象的な顔立ちだったそうです。
渋沢栄一の父・市郎右衛門に教わって、藍玉も作っていました。
彼の業績も、詳しく紹介されています。
後に富岡製糸場の初代場長になったり、国立第一銀行仙台支店の支配人などを務めました。
尾高家使用人の子として生まれ、後に富岡製糸場建設資材や、創業後の食堂など物資調達で活躍した韮塚直次郎や
尾高惇忠の娘であり、富岡製糸場の第1号工女となった、尾高ゆうの紹介もあります。
赤ワインを飲んでいた外国人を見て「異人は若い娘の生き血を飲む」という噂が広まり、富岡製糸場工女ののなり手がなかったので、尾高惇忠は最愛の娘を工女にし、ゆうも快諾。
場長の娘がなるのだから大丈夫、といつしか誤解も解けたのだとか。
若いときのゆう。なかなかしっかりした顔立ちの美人ですね。
見てみたかった2階の部屋
今回は見学できませんでしたが、2階では渋沢栄一や彼の弟、そして妹の千代などが、学問を学んでいました。
後には栄一やいとこの喜作、そして尾高新五郎や長七郎なども加わって、上野国高崎城を襲撃して武器を奪ってから、横浜の外国人を遅い片っ端から惨殺する計画なども立てていました。
外国人を斬り殺すのも、当時の栄一からすればきっと快哉!なのでしょうが、彼の狙いはそれ以上のものでした。賠償金を巨額にして、幕府を財政的にも弱らせる作戦なのです。
結果的には、京都の情勢を見て反対する新五郎の弟・尾高長七郎の大反対でこのテロ計画は未遂に終わり、栄一はいとこの渋沢喜作と京都へ逃亡。
この家の2階には、若き渋沢栄一や仲間たちの青春が詰まっているのかもしれません。
ここでも見えた、深谷と煉瓦の深い縁
商売もやっていた豪農の家だけあって、この家には土蔵があります。
しかも面白いことに、煉瓦作りの土蔵でした。土蔵って言うのかな?
この土蔵には、前回紹介した日本煉瓦製造株式会社の煉瓦が使用されている可能性があるとのこと。
古いものと新しいものが混じっている独特な雰囲気を感じた、尾高惇忠の生家でした。
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