『青天を衝け』ゆかりの地・旧渋沢邸「中の家」 両親やイケメン養子の石碑も!

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予想以上の大きさだった渋沢栄一の生家

2019年3月29日(日)、今年度のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一ゆかりの地を訪ねました。

『青天を衝け』ゆかりの地・深谷市渋沢栄一記念館 栄一の資料を見たいならここ!

2021年3月6日

『青天を衝け』ゆかりの地・尾高惇忠の生家 渋沢栄一と仲間たちが集った場所

2021年3月5日

『青天を衝け』ゆかりの地・深谷駅 「ミニ東京駅」と呼ばれる理由は渋沢栄一にあった

2021年3月4日

深谷市渋沢栄一記念館を見学した後、

いよいよ渋沢栄一の生家へ!

現在は、旧渋沢邸「中の家」と呼ばれています。

残念ながら栄一が生まれ育った幕末のままではなく、1895(明治28)年、栄一の妹・てい(ドラマではまだ登場していない?)の夫である市郎によって建て替えられたもの。

でもとにかく、血洗島で2番目の資産家にふさわしい家ですね!

立派な門。扉はケヤキの1枚板で作られています。市郎がこの辺りを探し回って丹念に集めたのだとか。

門を入ったところには、渋沢栄一らしき銅像!

でも降りしきる雪のため、近づいてみる余裕もありませんでした。よく見る洋装の銅像ではなくて、侍姿の若い頃(一橋家の家臣時代?)のようですね。

幕末の頃は、瓦葺きではなくて茅葺き屋根だったようです。

尾高惇忠の生家と同様、こちらにもボランティアガイドの方々がおられました。でもなぜか、どうぞ上がってくださいとは言われないのです(尾高惇忠の生家も同様)。

新型コロナウイルス感染症拡大防止から、玄関先のみの見学になっていたのかな?

「青淵」由来の碑

生家の内部見学はできませんでしたが、ボランティアガイドさんに耳寄り情報を教えて頂きました。

渋沢栄一は、漢詩や書を作るときは「青淵(せいえん)」という雅号を用いていたのですが、その「青淵」由来の場所が近くにあるとのこと。

案内してくださるというので、大喜びで行ってみました。

家の裏手を流れる川に沿ってしばらく歩くと、池のようなものが見えてきます。

どうやらこれが、青い淵(ふち 流水が緩やかで深みのある場所)らしい。雪の中に咲く桜が、とても印象的でした。

立派な碑(「青淵由来の碑」)もあります。

後で知ったのですが、橋を渡った向かい側も併せて、この辺りは「青淵公園」と呼ばれており、この淵はライトアップもあるのだとか。

渋沢栄一が有名になるずっと前から、地元では顕彰されていることがよくわかります。

尾高平九郎と両親の石碑

中の家敷地内には、パリへ渡航する際、栄一の見立養子となった栄一のいとこ・尾高平九郎の追懐碑がありました。

彼の死後50年を記念して建立されたそうです。彼の義父・渋沢栄一が彼を偲んだ漢詩が下に書かれています。

尾高惇忠や栄一の妻・千代の弟でもあるのですが、22歳の時に官軍と戦って自害した彼は、この写真のせいで「幕末のイケメン剣士」と大評判なのだとか。

平九郎の写真は、荻野勝正著『尾高惇忠 富岡製糸場の初代場長』から掲載させて頂きました。

また、敷地内には両親の招魂碑もあります。

左が先妣(せんぴ=亡くなった母)渋沢氏招魂碑、右が晩香渋沢翁招魂碑。母の方は栄一が、父の方は尾高惇忠が碑文を作ったようです。

元は東京谷中の渋沢家墓所内にありましたが、渋沢家墓地の整理縮小に伴い、2014(平成263月に「中の家」の敷地内に移設されました。

きっと3人とも、住み慣れた血洗島に招魂碑がある方がいいと思っているのではないか。

そう私には思われました。

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