世田谷区から深谷市に移設された建物
2019年3月29日(日)、今年度のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一ゆかりの地を訪ねました。
旧渋沢邸中の家を見学した後、最後に訪れたのが
誠之堂(せいしどう)と清風亭。今回の深谷巡りでタクシーの運転手さんに教えてもらうまでは、全くそういう場所があるとも知らなくて、漢字もわかりませんでした。
両方とも、元は東京都世田谷区瀬田にあった第一銀行(第一国立銀行が改称)の保養・スポーツ施設「清和園」の敷地内に建てられていた銀行関係者のための集会施設。
清和園の敷地が売却され、建物が取り壊しの危機に瀕した時、渋沢栄一生誕の地である深谷市が譲り受けに名乗りを上げ、2年間の解体・復元工事を経て今の姿になりました。
上が誠之堂。
これは清風亭です。どんな建物なのか、早速ご紹介しましょう。
私達が訪れたときはガイドさんが解説してくれましたが、現在は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、解説は中止だそうです。詳しくはこちらをご覧ください。
渋沢栄一の喜寿を祝って建てられた誠之堂
栄一は1873(明治6)年に第一国立銀行を創設。
やがて国立銀行が一般銀行に改組し、1896(明治29)年に第一銀行となってからは、栄一が初代頭取を務めました。
そして1916(大正5)年、喜寿(77歳)を機に頭取を辞任したのです。
誠之堂は栄一の喜寿を記念して、第一銀行行員たちの出資により建築された、いわば「退職プレゼント」のようなものでしょうか。
条件は「西洋風の田舎屋」で「建坪は30坪前後」というもの。
長年銀行のために貢献してきた栄一は、多くの行員たちから敬愛されていたようです。
建物の名前は、儒教の経典から栄一が名付けました。
建物の煉瓦には、深谷市に栄一が創設した日本煉瓦製造株式会社で焼かれたものが使用されたようです。
煉瓦による朝鮮風の装飾積みで「喜寿」の文字を表していると聞いてびっくり!
ステンドグラスも論語を愛した栄一らしく中国風。
栄一を貴人に見立てて、喜寿を祝う情景と考えられています。
2代目頭取の古希祝いで建てられた清風亭
清風亭は、第一銀行2代目頭取・佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、第一銀行行員たちの出資で建てられたもの。
1926(大正15)年に完成し、誠之堂と並べて建てられました。
こちらは鉄筋コンクリート造の平屋建てで、当時流行していたスペイン風の様式。
1923(大正12)年の関東大震災を契機に、建築構造はレンガ造りから転勤コンクリートへと主流が変わったようで、その初期の建築物としても建築史上貴重なものだそうです。
今は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、新規予約受付は中止されているようですが、早くこの貴重な建物の魅力を、多くの人々に見てもらいたいなと願っています。
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