『週刊少年ジャンプ』に連載が始まった『逃げ上手の若君』の舞台の1つは、鎌倉です。鎌倉時代末期から南北朝時代を描く、異色の時代設定。
先日、その鎌倉を訪れる機会がありました。
今注目の『観応の擾乱』! 足利直義とはどんな人物?
最近、応仁の乱と並んで関心が高まっているのが、「観応の擾乱」と呼ばれる事件。
最初はとても息が合っていた足利尊氏・直義(ただよし)兄弟の争いです。
『観応の擾乱』という新書(亀田俊和著)も出版され、
新書『応仁の乱』に続くヒットになっているのだとか。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で脚本を担当した池端俊作さんが、30年前に同じく脚本を手がけた『太平記』でも、とても印象的に描かれていました。
『逃げ上手の若君』の主人公・北条時行に鎌倉を奪還された直義を救援するため、足利尊氏が京都から鎌倉に向かうなど、漫画でもこの兄弟は若君の手強い敵として、きっと大活躍すると思います。どんな風に描かれていくのかな?
あの肖像画のモデルは足利直義?
来年度のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場する源頼朝(大泉洋さん)。
小学生の頃から、頼朝はずっとこの顔だと思っていました。意志が強くてとても賢そうで、肉親の情に流されない冷静さも持っている源頼朝のイメージにぴったり!
ついでに言うと、昔の大河ドラマ『草燃える』の石坂浩二さん演じる頼朝とも、なんとなく通じる雰囲気で、ちょっとイケメンぽくて、好きな肖像画の1つです。
でも近年、この肖像(正式には『(神護寺三像のうち)伝源頼朝像』)が足利直義であるとの説もあり、注目を集めています。
気分の浮き沈みが激しい兄の尊氏と違って、1歳年下の直義は沈着冷静。同母の兄弟で仲も良く、尊氏は軍事面、忠義は政務を担当していました。
若い頃の尊氏が一夜の過ち?で生ませた子を認知しなかった際には、その子を引き取って「直冬(ただふゆ)」と名付け養子にしました。いい人じゃないですか!
尊氏にさせるには忍びない汚れ仕事(護良親王殺害など)も、率先して引き受けたようです。
後に足利尊氏の執事・高師直(こうのもろなお)と対立したことから、観応の擾乱と呼ばれる戦乱状態が始まります。
源頼朝同様、征夷大将軍たるもの、武士たちをまとめるためには肉親よりも家臣を大事にしなければ!と尊氏は決意したのでしょうか。
これに南朝勢力も加わり、(多分そのつもりはなかっただろうけれど)混乱の世を生み出してしまった足利直義。
彼の死後は養子となった直冬が、実父の尊氏と戦い続けることとなります。
毒殺された?足利直義の墓
この興味深い人物・足利直義の墓に行きたいなと思っていました。
彼は尊氏軍に敗北し、1352年に鎌倉で武装解除されて浄妙寺に幽閉され、その後急死してしまうのです。
病気で亡くなったという記録もありますが、毒殺説もささやかれていました。
大河ドラマ『太平記』では、兄の尊氏による毒殺。でも涙無しでは見られない! やっぱり足利直義さんはいい人です。
彼が亡くなった場所である浄妙寺に、お墓はありました。
最初グーグルマップだけ見ていたら、浄妙寺の中にあるとはわからなくて、裏山の辺りをぐるぐる歩き回り、見つからなくて、危うく墓参りを断念しかけました。行く前によく調べておかなければいけませんね(反省)。
浄妙寺の中でも、彼の墓はわかりにくい場所にあったのです。受付で尋ねてみました。
するとなんと、境内の一番高い場所にあるというではありませんか!(怒)
護良親王と言い、足利直義と言い、どうして権力者のお墓は高い場所にあるんだろう?
浄妙寺の境内の中で一番人気の
石窯ガーデンテラス。実はここが足利直義が幽閉されていた場所(延福寺)だったそう。
さらに少し登った場所のやぐらに、彼の墓はあったのですが、
あまり目立つとはいえないお墓です。
登ってすぐに見える立て札によると、ここかな?
少し枯れたような花束が供えられていましたが、これがなければきっと、他の人のお墓と区別がつかないでしょう。
石窯ガーデンテラスと対照的に、ひっそりたたずむ直義の墓所ですが、なんとなく彼にふさわしい場所ではないかなと思えました。
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