「坂東武者の鑑」畠山重忠の邸宅跡
2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。
鶴岡八幡宮を参拝した後は、
最初に幕府が設置された大倉山方面を目指します。
その途中に見つけたのが、武勇の誉れ高く清廉潔白な人柄から「坂東武者の鑑」と称えられた、秩父氏一族・畠山重忠(埼玉県深谷市畠山に所領があった)の邸跡を示す石碑。
鶴岡八幡宮のすぐ隣にあったのでびっくり! 政所跡(鎌倉ロイヤルハイツそば)にも近いですね。
源頼朝は鶴岡八幡宮を中心にして、鎌倉幕府の中枢施設を整備しました。
畠山重忠邸が鶴岡八幡宮のすぐ近くにあったということは、頼朝や幕府首脳部にとても信頼されていたということかな? 彼は『鎌倉殿の13人』(2代将軍頼家を支えた13人の重臣たち)のメンバーには入っていないのですが、とても人々から慕われていたようなので、こんな一等地に邸宅もあったのでしょう。
後に、彼の嫡子・畠山重保と共に、北条時政と対立して滅ぼされてしまうのですが、
ドラマでも中川大志さんが好演されているので、とてもつらい展開になりそうですね。
大倉幕府跡
畠山重忠邸跡から大倉幕府跡までは、歩いて5分ほど。
途中には、風情のあるポストもありました。
今は私立清泉小学校横に石碑が建っているだけですが
小学生が解説してくれる案内板があって、少し癒されました。
1180年10月に鎌倉入りした頼朝は、この場所に屋敷を構え、侍所や政所、門注所など、幕府の組織を整えていきました(門注所は後に鎌倉駅西口近くに移転)
当初は頼朝の父・源義朝の屋敷があった亀谷(今の扇ガ谷で、寿福寺や源氏山があります)が候補になったのですが(大河ドラマでもそういうシーンがありました)、手狭なうえに義朝の菩提を弔う寺院がすでに建てられており、亀谷ではなくこの場所に幕府は建設されたのです。
頼朝の館は寝殿造りでしたが、館の中に御家人たちが控える広い侍所があったり、名馬を30頭近くもつなぐことができるなど、武士の棟梁らしい特徴を備えた建物だったそうです。
元総理も輩出した有名小学校だった!
大倉幕府跡地にある清泉小学校は、カトリック女子修道会を母体とする私立小学校。
関西人の私たちは全く知らなかったのですが、調べてみると、かなり有名人を輩出しているようです。
細川護熙(もりひろ)元首相や、フィギュアスケートの村主章枝(すぐりふみえ)選手など、確かに私でも知っている有名人がいますね。
問注所跡の近くにも、鎌倉市立御成小学校という有名人を輩出した学校があり、古代の郡衙の遺跡が出土しています。
幕府ゆかりの地に建つ小学校には、不思議な共通点があるようですね。
コメントを残す