聖徳太子の弟が鬼退治?
2023年12月24日(日)、トラピックスの日帰りバスツアー「(梅田・新大阪発)久美浜温泉旅館「湯元館」で食す特選本ズワイガニ2杯分フルコース 京丹後日帰り」に参加しました。
京都縦貫道の道の駅京丹波味夢(あじむ)の里で休憩。トンネルの中で故障車に遭遇し、「久美浜温泉湯元館」でカニ料理と入浴、久美浜の酒造・木下酒造で酒まんじゅうの試食や地酒の試飲後は、間人(たいざ)浦にある「東洋のエアーズロック」立岩を、雪道に難渋しながらも見学。
ところでこの立岩には、面白い伝説があると、添乗員の川井さんが面白い伝説を教えてくれました。
それによると、この岩には鬼が封じ込められているのです。
封じ込めたのは、あの厩戸皇子(うまやどのみこ)の異母弟・当麻皇子(たいまのみこ)。別名麻呂子(まろこ)親王と呼ばれている人物で、推古天皇の頃にこの地方を苦しめていた3匹の鬼を退治する大将軍に任命されました。
親王は伊勢神宮の神の化身である老人がくれた犬のおかげで、2匹の鬼を討ち取り、残る1匹の鬼は、末代までの証拠としてこの立岩に閉じ込められたのだとか。
今でも風が強く、波の高い夜などは鬼たちの号泣する声が聞こえると言われているそうです(怖)。
間人浦の間人皇后と厩戸皇子像
立岩の周囲には、荒々しい日本海の他(海の色が寒そう!)
周囲をよく見ると、堤防の上に不思議な像もありました。
雪道をかき分けて近寄ってみると
間人皇后=正式名穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后と厩戸皇子の母子像。なぜここにあるかというと、伝説では、蘇我氏と物部氏の争乱を逃れて丹後に身を寄せたというのです。
やがて争乱が蘇我氏の勝利で収まった後、都へ帰る時に里人へ感謝の念を込めて、自らの名「間人」を村名に贈ります。しかし里人は、皇后の名をそのまま地名にするのは畏れ多いとして、皇后の退座にちなみ、間人の文字を「たいざ」と読んで地名にしたのだとか。
蘇我氏と物部氏の争乱が決着するときには、厩戸皇子は13歳。蘇我氏の軍にも加わっていました。でもこの像は、13歳にしてはとても幼いですね。そして『古事記』や『日本書紀』には、穴穂部間人皇后が丹後を訪れたという記事がないのです。なぜこのような伝説が生まれたのかな?
道の駅てんきてんき丹後でお買い物
立岩見学を終え、また雪道を歩いて
バスが停車している道の駅てんきてんき丹後へ戻りました。後30分弱でクーポンを使って買い物をせねば!
ところで「てんきてんき」という奇妙な名前が気になっていたのですが
公式HPによると、近くにある竹野神社の祭礼で奉納される民俗芸能の名前から付けたそう。「てんきてんき」という囃子言葉があり、中世芸能の名残があるとか。面白そう!
ところで私たちは、まずトイレに行きたかったのですが、何とトイレが改修工事中で(2024年2月末までの予定)、仮設トイレを使うしかありませんでした。でも女性用は個室が5つあったので助かりました。
ありがたいことに、土産物などは充実していて、カニ味噌やカニ入りちくわなど、無事に2,000円分のクーポンを使い切ることができました。
16:20に道の駅を出発し、途中道の駅京丹波味夢(あじむ)の里で休憩し、梅田には19:30頃に帰ることができました。阪急バスの青山運転手さん、そして添乗員の川井さん、どうもお世話になりました。
コメントを残す