「道成寺七不思議」の1つ、上りやすい石段
2024年7月25日(木)、天神祭の日に、読売旅行の日帰りバスツアーに参加しました。参加したのは
【大阪府内発】 合計5個!本場紀州あらかわ桃狩り体験と旬の鱧御膳 日帰り
というツアーで、梅田と天王寺2か所からの参加者46名で、バスは満席(代金は1人11,990円)。
最初の目的地、和歌山県有田郡有田川町の生石(おいし)高原散策と、道成寺の門前にあるレストラン「あんちん」(和歌山県日高郡日高川町)での鱧御膳ランチを終えた私たちは
昼食時間の残りを利用して、道成寺を参拝することにしました。
「あんちん」から道成寺までは一本道で、沿道には土産物屋が並んでいるのですが、平日の為か?シャッターが閉まっていたり、ほとんど客がいなかったり。もしかしてお客は、私たちのツアーだけかな?
さて、私たちが上がるこの石段。なかなか急なようにも見える、62段の石段ですが
実は、「上がりやすく下りやすい石段」として、「道成寺七不思議」の1つに数えられているとか。左右の土手が、上が広くて下が狭い台形の形をしているそうで、遠近法で上がりやすく思えるのでしょうか。
本当に上がりやすいかどうかは、よくわかりません。でも3週間前に上がった、同じ和歌山県の新宮市にある神倉神社の石段に比べれば、はるかに安全で、上がりやすかったと断言できます。
聖武天皇の母・藤原宮子ゆかりの寺
道成寺と言えば、「安珍・清姫」伝説が有名ですが、62段の石段の上にはこのような石碑がありました。
石碑の側面に刻まれているのは、「宮子姫命」。文武天皇の夫人・藤原宮子(藤原不比等の長女 聖武天皇の母)の御願寺なんですね。
調べてみると宮子姫については、紀伊国の海女だったとか、子供の頃、なかなか髪の毛が生えなかったけれど、母親が海の底から光る観音像を拾い、それに祈ったところ髪が生えたとか、その美しさを藤原不比等が見初めて養女にした(髪長姫)とか、面白い伝説が色々あったのです。出産後、心を病んでいた(多分うつ病)のは事実ですが、紀州の海女伝説はなぜ生まれたのでしょうか。興味があります。
伝説通りなら道成寺の観音様は、宮子の母が、海底から拾ってきた光る観音像なのかな?
御朱印(300円)も頂くことができました。
安珍・清姫伝説の寺
本堂脇の壁をよく見ると、歌舞伎や日本舞踊の舞台写真などがたくさん飾られていました。
能や歌舞伎などで「道成寺もの」と呼ばれるジャンルがあるほどに、「安珍・清姫伝説」を基にした作品は数多く作られ
特に歌舞伎の『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』は、歌舞伎舞踏の頂点をなす作品なのだとか。
本堂の「御祈祷受付」では、芸道上達(舞台成功祈願)が先頭に書かれていました。
現在、道成寺には鐘楼はありません。上の写真は、二代目の鐘楼跡。羽柴秀吉の紀州征伐の際、鐘楼など堂宇は焼かれ、梵鐘も奪われてしまったそう。
清姫によって焼かれた初代の梵鐘と、焼け死んだ安珍の遺体を埋めたという安珍塚。清姫は13歳とも16歳とも伝わっています。彼女もジュリエットやトスカや蝶々夫人と同じく、愛に突っ走る(暴走する)ティーンエイジャーだったのでした。
この時期本堂の前には、蓮の花が咲いていました。悲劇的な死を遂げた後、蛇の夫婦に転生した2人は、道成寺の僧たちの供養で、極楽に往生できたのだとか。極楽浄土では、逃げたりしないで2人仲良く暮らしてほしいですね。
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