東浅草の正法寺はビルだった!
2025年1月5日からスタートしたNHK大河ドラマ『べらぼう』は、主人公の蔦屋重三郎を中心に、江戸中期の様々な人物が登場します。昨年6月8日(土)に東京に行く機会があったので、ドラマに登場する人物ゆかりの地とその周辺を巡ってみることにしました。
墨田区の回向院(えこういん)や台東区の浅草神社で、蔦屋重三郎の「耕書堂」から数多くのヒット作を出版した戯作者・山東京伝(さんとうきょうでん)ゆかりの地を見た後は
東浅草にある、日蓮宗の正法寺へ。
ここに、蔦屋重三郎のお墓があるのです。浅草神社からは、徒歩約15分ほど。浅草神社にはまだ、浅草寺から来る観光客もいて、賑やかだったのですが、この辺りは静かで落ち着いたたたずまい。
到着した正法寺は、私たちのイメージしていた「お寺」という建物ではなく、とても近代的なビルだったのでびっくりしました。1681年からこの場所に寺院が建っていたのですが、関東大震災や東京大空襲などを経て、現在の姿になったそうです。
こんな大きなビルの中に、一般の観光客が入ってもいいのかなと、一瞬身構えてしまいましたが、勇気を出して建物の中へ。
蔦屋重三郎の墓は、顕彰碑だった
建物の中を進み、左に曲がると、中庭に通じる休憩スペースがありました。冷水器もあって、暑い中歩き通した私たちは、感謝しつつ、しばし休憩。本当に助かります。
蔦屋重三郎の墓は。この中庭にありました。私たちは「墓」と読んでいたのですが、関東大震災や東京大空襲などで、元々の墓は失われてしまったのだとか。
しかし幸いなことに、墓に刻まれた墓碑銘や、彼の母親の顕彰文は書物に記されていたため、先代の住職が新たに顕彰碑を建てたと知りました。墓碑銘や顕彰文の現代語訳は、受付で頂くことができます。
墓碑銘は、「宿屋飯盛(やどやのめしもり)」という狂歌師としても名高かった国学者の石川雅望(まさもち)が書いたもの。彼の生い立ちや性格、臨終の様子などが書かれています。彼は数え年48歳で、脚気(かっけ)のために亡くなりましたが、ここ数年の大河の主人公(渋沢栄一や北条義時、徳川家康)に比べるとかなり短命。そして小さなことを気にかけず、人には信頼を持って接し、発想力、コミュニケーション能力と人と人を結び付ける力、物事を見通す計算高さは頭抜けていたそう。まさに「べらぼう」=常識外れの人だったのですね。
左側にあるのは、石川雅望同様重三郎と親しかった、狂歌師「四方赤良(よものあから)」こと幕府御家人の大田南畝(おおた なんぽ)による、重三郎の母の顕彰文。7歳で彼を捨てた両親ですが、彼は日本橋に店を構えると両親を探し出し、一緒に過ごしたのだとか。ドラマでも出てくるのかな。母親のことは、とても好きだったのかもしれません。
この左から3番目の戒名が、蔦屋重三郎。1797(寛政9)年5月6日に亡くなりました。墓碑銘によれば終活をきちんと行い、自分の臨終を予言したりと、模範的な最期(?)を迎えたようです。物事を見通せるから、周到に準備していたのかな。見習わないといけないなと思いました。
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