吉原神社と吉原弁財天
2025年1月5日からスタートしたNHK大河ドラマ『べらぼう』は、主人公の蔦屋重三郎を中心に、江戸中期の様々な人物が登場します。昨年6月8日(土)に東京に行く機会があったので、ドラマに登場する人物ゆかりの地とその周辺を巡ってみることにしました。
蔦屋重三郎の墓参りや、最初に「耕書堂」という書店を開いた吉原大門近くの五十間道、そして吉原遊郭跡や吉原神社を散策した私たちは
次の目的地・吉原弁財天本宮(もとみや)へ向かいました。
吉原弁財天は吉原神社の境外末社で、吉原神社からは徒歩2分ほどの場所にあります。
元々この辺りは湿地帯で、多くの池が点在。吉原遊郭が建設された際には、浅草田圃(あさくさたんぼ)と共に、湿地帯の一部も埋め立てられましたが池の一部は残り、池のほとりには明治時代から、弁財天が祀られるようになったのです。1935(昭和10)年に、吉原神社に合祀されました。
社殿の壁に描かれた壁画は、東洋芸術大学の学生たちによって描かれたものです。
関東大震災の悲劇
この吉原弁財天には、現在とても可愛い池があり、錦鯉などが泳いでいますが、昔はかなり大きな池で、花園池(弁天池)と呼ばれていました。
1923(大正12)年に関東大震災が起きた際、吉原でも倒壊した建物から出火。境内に逃れたものの、火災の渦に巻き込まれ焼死した人々や、この池に飛び込んで溺死した人々など
現地の案内板によると、490人もの人命が失われたのだとか(諸説あり)。
その3年後、弁天池のほとりに犠牲者を供養するための吉原観音像が建立され、
その後は毎年、慰霊法要が続けられています。
今ではこの悲劇が信じられないほど、手入れの良く行き届いた空間になっており
観音様に比べると存在感は小さいですが、弁天様もちゃんと祀られていました。
境内にあった吉原遊郭の面影
境内には、関東大震災の慰霊以外にも、多くの記念碑などがありました。
これは「花吉原名残碑」。吉原遊郭の歴史を永く止めようと、1960(昭和35)年に地域有志によって建立された石碑です。
こちらは、元吉原の創設者である、初代惣名主庄司甚右衛門の碑。
華やかな歴史を記念する石碑もあれば、こちらのとても小さな「遊女の墓」(名前がない!)のように、吉原の影の部分を留めているものも。
吉原弁財天前には、遊郭専門書店として有名な「カストリ書房」があります。時間と体力に余裕があれば、少し覗いてみたかったな。
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