犬山城がモデルの模擬天守
2024年12月30日(月)今回の旅行最終日は、四万十市の中村を観光しました。
中村城跡や為松公園を訪れた私たちは、
中村城二の丸跡に建つ、四万十市郷土博物館へ。

博物館は、今は亡き中村城もこんな感じかなと思わせる模擬天守の建物ですが、外観は犬山城をモデルにしているのだとか。昔の中村城は、どんな外観だったのでしょうか。
土佐一條氏と長宗我部氏
博物館の入場料は、大人440円。

1階はガイダンスフロアで、四万十川と営まれてきた生活などが、映像も交えて紹介されています。

2階は常設展示フロアで、

貴重な歴史資料が展示されています。

中村なので、一條家にもスポットを当てています。一條家は荘園支配の基盤として、寺社造営を進めていたことがわかりました。

渡川の決戦(長宗我部元親が、一條兼定に勝利)の紹介パネル。この戦いで一條氏第4代当主の兼定は逃亡し、事実上土佐一條氏は滅亡。一方長宗我部元親は、土佐一国の平定に成功しました。

四万十川橋(赤鉄橋)のすぐ近くにある古戦場には、「四万十川学遊館あきついお」に行く途中に訪れていたのですが、

改めて展示を見ると、やはり歴史を変えた戦いだったのだと感じます。

長宗我部元親の書状も、展示されていました。
幸徳秋水だけじゃない! 中村が誇る偉人たち
私たちが知らなかった中村の偉人たちも、紹介されていました。

幕末の学者・教育者だった木戸 明(きど めい)の書。自費で大砲38砲を鋳造して藩に献上したそうで、「誠意を込めて国のために尽くす」という精神で行動した人物だったのでしょう。

高知県庁製図係として勤務する傍ら、絵画製作をつづけた島村小湾や

先ほど、東ノ城跡で顕彰碑を見た樋口真吉の紹介も。
そしてやはり忘れてはいけない幸徳秋水! プライベートではかなり問題がありそうですが、中村が誇る偉人の1人なのは間違いありません。

「平民新聞」の原稿や


書簡が展示されていました。
展望フロアからの眺めは素晴らしい
3階は企画展示フロア。

この日は、動物の剥製が多数展示されていました。この博物館の前身である「幡多(はた)郷土資料館」で展示されていたものだそう。

やはり高知と言えば、ニホンカワウソかな? 高知県で確認されたのを最後に生息情報が途絶え、2012年、環境省の絶滅種に指定されました。

この地域で棲息する鳥類や

動物たちの剥製。今は亡き、為松公園内の動物園で飼育されていたものもあるそうです。時代を感じますね。

更に階段をかんばって昇り(エレベーターもありました)、6階の展望フロアへ。

中村の市街地が一望できます! 小さくこんもり見える緑の丘が、一條神社ですね。

眺望の解説板もあって、わかりやすかったです。

四万十川もよく見えて、「土佐の小京都 中村」の姿を、広く見渡すことができました。
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