2025年吉野山の桜探訪記4  吉野水分神社から金峯神社へ

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「吉野城」の名残を示す丈之橋跡

2025年4月12日(土)、久々に奈良県の桜の名所・吉野山に行くことができました。今回近鉄吉野駅から中千本まで、奈良交通バスに乗車。そこから歩いて、上千本の「さくら咲競プロジェクト」の眺めを堪能し、世界遺産である吉野水分(みくまり)神社にも参拝しました。

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吉野水分神社から、今日の最終目的地・奥千本エリアにある西行庵を目指して歩いていると、神社の裏手辺りに、この石碑がありました。

「吉野三橋の一 丈之橋跡」と書かれています。一体この道のどこに川があったのかな? でも何も解説がありません。不思議に思って後で調べてみると、鎌倉時代末期に、後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良(もりよし)親王が鎌倉幕府打倒のため吉野で挙兵した時に築いた山城「吉野城」の、空堀に架かる橋だったのです。今は空堀も埋められ、この石碑しかないのですが、昔はどんな地形だったのかな。

ちなみに石碑に刻まれた「吉野三橋」の他の2つは大橋と天王橋で、3つの橋全てが吉野城の空堀に架かる橋だったそうです。規模の大きな山城だったのかな。

修行門から金峯神社へ

道はさらに登りになり、念願の奥千本エリアに入りました。

神仏習合の時代には、疫病退散の神として信仰されたインドの神(祇園精舎の守護神)牛頭天王(ごずてんのう)の社跡や

大峯(おおみね)山に登って修行した回数を記念するため、個人が建てた石碑が現れます。

そしてさらに進むと見えてきた鳥居には、「修行門」の扁額が! 吉野山が「修験の山」であることが、はっきりとわかる場所です。これより先は民家もなく、空腹と疲労に苛まれながら険しい山々を越え、岩場をよじ登らねばなりません。その苦しい修行の始まりを告げる門なのだとか。

桜の並木を歩いて行くと、大峯奥駆道(おおみねおくがけみち)の解説板もありました。

そしてこの南側にあるのが、世界遺産にも登録されている金峯(きんぷ)神社。金峯山(きんぷせん 吉野山から山上ヶ岳一帯の通称)の地主神(土地の守護神) 金山毘古神(かなやまひこのかみ)を祀っています。この辺りには黄金の鉱脈があると信じられていました。

ここも参拝するのに行列。この日の吉野は、何をするのも行列です。

私たちの前に並んでいた男性のリュックから、ちょこんと顔を出していたプードル。ぬいぐるみかと思ったほど、おとなしくていい子でした。待ち時間、この犬を見てかなり癒されました。

私たちの順番が回ってきました。黄金の鉱脈は見つけられなくていいから、どうか吉野山でいい思い出ができますように。

御朱印を頂くための行列もあったのですが、先ほど吉野水分神社に行った際、どうせならと、書置きの金峯神社の御朱印(300円)を頂いておいたので、並ばずに済みラッキーでした。ちなみにこちらの社務所では、直書きの御朱印もあるそうです。

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