吉野山に魅せられた西行法師が暮らした庵
2025年4月12日(土)、久々に奈良県の桜の名所・吉野山に行くことができました。今回近鉄吉野駅から中千本まで、奈良交通バスに乗車。そこから歩いて、上千本の「さくら咲競プロジェクト」の眺めを堪能し、世界遺産である吉野水分(みくまり)神社や奥千本の金峯(きんぷ)神社を,参拝しました。
いよいよ本格的に、奥千本エリアに足を踏み入れます。

金峯神社の側にあった休憩所には、役行者の像。修験道の聖地である吉野山らしいです。

中千本からここまでは、車道を歩いてきたのですが、舗装された車道ともここでお別れ。ここから西行庵までは、本格的な山道でした。

滑りやすい登り坂に苦しめられましたが、所々にある山桜が、目を楽しませてくれます。
グーグルマップのお告げよりは、倍近い時間がかかったのですが、やっと目指す西行庵へ。

平安末~鎌倉初期の歌人・西行法師(平清盛や源頼朝と同じ時代の人)が、2年ほど、俗界を避けてここで暮らしていたそうです。厳しい大峯奥駆での修行も、2回行ったのだとか。

有名な彼の和歌「願わくは 花のしたにて 春死なん その如月の 望月のころ」は吉野山で詠まれました。後に彼が全国行脚の旅に出た際、各地で吉野山の桜を褒めちぎったため、吉野山は全国に知られる桜の名所となったようです。権力者やセレブとも人脈があるインフルエンサー西行恐るべし。

お寺のような建物を想像していたのですが、ワンルームの小さな建物だったのでびっくり! トイレと台所は屋外かな? 家具や身の回り品って何があったのかな?

西行法師って究極のミニマリストかもしれませんね。
ちなみにこの近くには、西行法師や芭蕉ゆかりの「苔清水」があるらしいのですが、見落としてしまいました。残念!
奥千本の景観にびっくり
西行庵の近くは、ちょっとした広場になっていて、お弁当を食べるのには最適!

私たちも早めにお弁当を確保して、ここで食べても良かったかなと後悔しかけました。

ここから元の場所に戻るべく、また山道を歩き始めたのですが、途中、周辺の山々がかなり伐採されている場所を、いくつか通り過ぎました。

どうやらこの奥千本エリアでも、桜の病虫害や寿命問題に悩まされているようです。
加えて戦後の一時期からは、桜を伐って杉やヒノキの建築用材を育てた経緯もあり、桜よりも吉野杉、吉野檜という時代があったのでした。

ちなみに奥千本でも桜再生プロジェクトが進行中のようで、「桜の献木」運動で、桜を守り育てようとしていました。奥千本エリアも、早く桜でいっぱいになってほしいですね。
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