奈良県天理市の隠れた史跡  在原業平の生誕地・在原神社(在原寺跡)

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奈良県天理市で生まれた?在原業平

芦屋に住んでいる知人から、今年が平安時代の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)生誕1,200年目(気が付いた人すごい!)だと教えてもらったのがきっかけで、業平に関する史跡を訪れることにしました。

芦屋には、業平の父親・阿保(あぼ)親王の墓と伝わる古墳や

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業平の霊が登場する謡曲『雲林院(うんりんいん)』の登場人物に因む史跡などがあり

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先月訪れた京都では、地下鉄烏丸御池(からすまおいけ)駅近くの御池通に面して、彼の邸宅跡がありました。

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昨年は偶然、在原業平の墓や「なりひら桜」がある十輪寺(じゅうりんじ)も訪れましたが

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そう言えば、彼がどこで生まれたのか、その場所にまだ行っていないことに気が付きました。調べてみると、奈良県天理市にある在原神社が生誕の地と伝えられているらしいのです。いくら祖父の平城上皇が、平城太上天皇の変(別名薬子の変)で嵯峨天皇に敗れたとはいえ、元皇族の上級貴族なら、京の都のど真ん中で生まれていそうなものなのに。ちょっと不思議な気もしつつ、天理市櫟本(いちのもと)町にある在原神社へと向かいました。

昔の在原寺の栄華は今いずこ

在原神社は、近鉄天理駅から北へ徒歩30分ほど。

西名阪自動車道天理インターチェンジのすぐそばでした。

まず最初に目につくのが、この大きな石。「在原寺」と書かれていました。境内の案内板によると、1876(明治9)年まで、この場所には「在原寺(ありわらでら)」という寺院がありました。寺院は平安時代前期に建立され、在原業平の病没後に、その邸を寺にしたと言われています。

今は小さな神社ですが、昔は紀州徳川家により社殿が寄進されたとか。

お寺もこのように、なかなか立派だったようです。

「うぐひすを 魂(たま)に眠るか 矯柳(たおやなぎ) はせを(芭蕉)」と刻まれた芭蕉の句碑。特に在原寺や業平について詠んだものではなさそうでした。

謡曲「井筒」が広めた生誕地説

在原業平と言えば、京都の烏丸御池にも邸跡がありました。在原業平病没後に、邸跡が寺となったのは、晩年に暮らした邸ならよくあることだと思うのですが、それが果たして「生誕地」の証拠になるのかな?と思っていたら、面白いことがわかりました。

業平が主人公とされる『伊勢物語』の有名なエピソード(高校の古典でも学習する)、幼馴染の恋を描く「筒井筒」をテーマにした謡曲「井筒」(作者はあの世阿弥!)で、「筒井筒」の舞台を、大和国石上(いそのかみ)にある在原寺の旧跡としているのです。

幼い頃の業平がここの井戸の「井筒」で背比べをした場所なら、幼いころから業平はここに住んでいた、つまりここで生まれ育ったと考えたくなるかな。

それにしても、平安京でもない、昔の平城京とも少し離れている郊外で、彼は生まれ育ったのかな? 『伊勢物語』の「筒井筒」エピソードの冒頭には、主人公の男性(業平?)について、「田舎わたらひしける人の子ども」(地方を廻って生計を立てていた人の子ども)とあります。

業平の場合、父親は平城天皇第一皇子(皇太子ではない)、母親は桓武天皇の皇女という超セレブな両親から生まれています。個人的には天理より、奈良市生誕が納得できるけれど、あの世阿弥が書いた能の傑作「井筒」が広まると、幼い恋人たちはここで生まれたと考えますよね。

境内には、「筒井筒」のヒロイン(業平の正妻・紀有常の娘)を祀る姫丸社や

謡曲「井筒」の舞台装置として登場する「一むら薄(ひとむらすすき)」も。

この辺りでも、「在原業平生誕1200年」で盛り上がっているようです。ただ、記念御朱印配布は10時からで、今はまだ9時半を少し過ぎたばかり。泣く泣く数量限定の記念御朱印を諦め、次の目的地である石上(いそのかみ)神宮まで歩くことにしました。

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