案内板に誘われて山の辺の道へ
2025年4月29日(火)、今年が平安時代の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)生誕1,200年目(気が付いた人すごい!)ということで、彼の生誕地と言われる奈良県天理市の在原神社を訪れ、それだけ見て帰るのももったいないので、日本最古の神宮の1つ・石上(いそのかみ)神宮に参拝し、七支刀(しちしとう)の御朱印を頂くこともできました。
近鉄天理駅から在原神社経由でここまで来るのに、すでに1時間20分近く歩いています。
出発前に家の近くも散歩していたから(石上神宮行きは予定してなかった)、かなり疲れました。

でも石上神宮に行くと、あちこちに「山の辺の道」の道標や多言語対応の案内板があって、

新たなハイキングコースに誘ってきます。私も昔歩いたことがあるのですが、天理から桜井までの山の辺の道は、なかなか趣あるハイキングコース。奈良盆地に連なる山々の裾を通る、日本最古の道が「山の辺の道」で、周辺には古墳や古社寺、旧跡などが点在します。

天気もいいし、緑もきれい。山の辺の道を歩く人たちもたくさんいます。お茶は用意してきたけど、昼食も持参してないし、11時に歩き始めてゴールの桜井駅までどれくらいかかるのか、全く見当もつかないけれど(地図はグーグルマップが頼り)、山の辺の道の魅力に勝てず、歩くことにしました。
山の辺の道名物 路傍の石碑と無人販売所に早速出逢う
歩き始めてすぐに、色々な石碑(歌碑や句碑)と出会いました。

石上神宮境内にあるこの石碑は、文字が読めなかったのですが(気になる!)

上の石碑は、僧正遍照の和歌「さとはあれて人はふりにしやどなれや 庭もまがきも秋ののらなる」。年老いた遍照の母=「人」の家(宿)を詠んだと言われます。のら=野良ですね。
歩いていると、水田からカエルの声が聞こえてきます。都会暮らしなので、カエルの声なんて、ここ数十年聞いたことがありません。ケロケロという声が、とても楽しそうに、可愛く聞こえてきました。今回の旅の最大の収穫は、カエルの声の素晴らしさに気が付いたことかも知れません。

山の辺の道名物?無人販売所(干し柿やドクダミ茶)にも、早速遭遇。この先も、色々な無人販売所と出会えそうで楽しみです。
内山永久寺跡の藤
やがて最初の史跡・内山永久寺跡に近づいてきました。内山永久寺とは、平安時代末期に鳥羽天皇によって創建された寺院で、その規模と伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼ばれました。江戸時代はこんな感じだったのですね。

しかし明治の神仏分離令と廃仏毀釈の嵐で、内山永久寺は破壊と略奪の対象となったのです。今残っているのは、本堂池だけなのだとか。
この地の桜を詠んだ、若き芭蕉の句碑(「うち山やとざましらずの花ざかり」)。

外様(よその土地の人々)には知られていない、内山永久寺の桜を詠んでいます。

今も見事という桜はもう終わってしまいましたが、周辺は藤がちょうど盛りでした。

まだ新しそうな藤棚もあって、観光客の休憩所になっています。

ちなみに、国宝に指定されている石上神宮摂社・出雲建雄(いずもたけお)神社の拝殿は、元々内山永久寺鎮守・住吉社の拝殿でしたが、1914(大正3)年に現在地に移されたようです。廃仏毀釈の影響の大きさがわかりますね。
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