進化した山の辺の道を行くその3  内山永久寺跡から竹ノ内集落へ

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今日一番の難所 石畳の激坂

2025年4月29日(火)、今年が平安時代の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)生誕1,200年目(気が付いた人すごい!)ということで、彼の生誕地と言われる奈良県天理市の在原神社を訪れ、それだけ見て帰るのももったいないので、日本最古の神宮の1つ・石上(いそのかみ)神宮から、日本最古の道・山の辺の道を歩いて、近鉄桜井駅を目指すことにしました。

進化した山の辺の道を行くその2  石上神宮から内山永久寺跡へ

2025年5月9日

進化した山の辺の道を行くその1  天理市の起点・石上神宮

2025年5月8日

奈良県天理市の隠れた史跡  在原業平の生誕地・在原神社(在原寺跡)

2025年5月7日

「西の日光」と言われながら、明治の廃仏毀釈の嵐で廃絶した大寺院・内山永久寺跡で休憩後

再び歩き始めると、私が知らなかった大和国の戦国大名・十市遠忠(とおち とおただ)の歌碑

「月待ちて嶺こへけりと聞くままに あはれよふかきはつかりの声」(月の出を待って、あの嶺を越えてきたんだなぁ。ああ、この夜更けに初雁の声がしているよ)がありました。

ここを過ぎてしばらく歩くと、石畳の道。最初はただの風情ある道かな程度で歩いていたのですが、途中からかなり急な下り坂に! 下り坂が怖くて苦手なので大苦戦。坂を下りるまでにとても時間がかかりました。後で調べると、「石畳の激坂」というすごい場所(そのまんま)。

雨が降って、石畳が滑りやすくなっていたら、きっと悲惨な目に遭っていたことでしょう(運が良かった)。それにしても、昔もこんな道、あったかな? 昔は桜井から天理に向けて歩いて、この坂は上り坂で怖くなかったから、記憶に残っていないのかな?

天理観光農園を経て夜都岐神社へ

坂をやっとの思いで下りると、天理観光農園へ。粟餅がとても気になったのですが、ここでのんびりしていると、桜井駅に着くのが遅くなるかもしれないと我慢我慢。

それにしてもこの観光農園も、昔はなかったような気がします。要所要所に食べたり休憩できる場所(トイレもありそう)があって、昔と比べて歩きやすくなったと思いました。

更に歩くと、道沿いに綿の展示。この畑で綿を栽培しているようです。

綿に和綿と洋綿があること(この畑など、現在世界綿製品の9割は洋綿)、明治時代には天理市にも紡績所が建設されていたことなど、今まで知らなかったことがいっぱい。

更に歩いて、夜都岐(やとぎ)神社に到着。

昔、この神社を訪れたかどうかも覚えていないのですが、趣のあるなかなかいい神社。昔はこの辺りは乙木(おとぎ)集落と呼ばれ、興福寺や春日大社の所有する土地でした。そのためこの神社は春日大社との関係が深く、明治維新まではこの神社から「蓮の御供」と称する神饌を献上。春日大社からは、古くなった社殿や鳥居が下賜されたそう。

参道を通り階段を昇ると

この地域では珍しい茅葺の拝殿。

本殿は、1906(明治39)年に、春日大社から移築された建物。

歴史と由緒ある神社に、旅の安全を祈願しました。

竹ノ内集落で道に迷う

神社を過ぎると、昔ながらの集落風景(乙木集落)。

さらに進むと、「せんぎりや」という大きな建物。千切り大根やイチゴの看板が目につきます。

千切り大根は特にいらないから、前を素通りしたのですが、後で調べると無料販売所だったのでした。

無料販売所って上の写真のイメージですが、「せんぎりや」はかなり大規模な店。

そして何とか、竹ノ内集落へ。ここまでは順調に、道標を頼りにたどり着きましたが、竹ノ内集落から道標が見当たらず、道に迷ってしまいました。

竹ノ内集落は確か環濠集落のはずですが、環濠も見当たらない。

後で調べたら、私が通った道の1本北側の道を歩けば、環濠の名残を見ることができたのです。その道を行けば、道標もあって迷わずに済んだかな?

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