春先に行ってみたい 天理の菜の花畑
2025年4月29日(火)、今年が平安時代の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)生誕1,200年目(気が付いた人すごい!)ということで、彼の生誕地と言われる奈良県天理市の在原神社を訪れ、それだけ見て帰るのももったいないので、日本最古の神宮の1つ・石上(いそのかみ)神宮から、日本最古の道・山の辺の道を歩いて、近鉄桜井駅を目指すことにしました。山の辺の道を歩くのは、本当に久しぶり。
竹ノ内集落で道に迷い、せっかく戦国時代の環濠集落(戦国期の動乱から自衛するため、周囲に濠を巡らせた)の面影を残す環濠を見るのも忘れ、グーグルマップの助けを借りて歩いていると、
「天理の菜の花畑」という場所に遭遇。今はこんな光景ですが

3月~4月には、かなり観光客が押し寄せるようです。

この菜の花畑も、昔は多分なかった新しい名所かなと思いました。
一番の進化を感じる瞬間! トイレが整備されている
この辺りは見通しも良く、「山の辺の道」の名の通り、山の裾を歩いていることが実感できました。

これは柿本人麻呂の歌碑。「あしひきの山川の瀬の鳴るなへに 弓月が嶽に雲立ち渡る」(山から流れ落ちてくる川の瀬の音が高くなりひびくにつれて、弓月嶽には一面に雲が立ち渡ってゆく)と書かれています。

この歌碑を過ぎると、とてもきれいなトイレがありました。ここに来るまでも、同じようなきれいなトイレがあり、とても助かっていたのです(洋式トイレもありました)。

壁面には「安心トイレガイド」という、前後にあるトイレ間の距離を案内するプレートまで、設置されていたのです! これがあると、こちらも安心して体調と相談して歩けます。山の辺の道は昔はただのあぜ道が続き、飲食店がないのはまだ我慢できるとして、トイレでは本当に悩まされました。トイレといい、多言語の道標や案内板といい、本当に進化したものです。

これも気が付かなかったのですが、トイレの近くに、地元の人々から大切にされているお地蔵さまがありました。「舟渡(ふなと)地蔵」(別名ぽっくり地蔵)と呼ばれる地蔵で、由緒も書かれています。

それによるとこの地蔵は、池の水を抜く掻い掘り作業で発見され、寺院へ運ぼうとしたのですが、この場所で急に地蔵が重くなり、動かせなくなりました。さらに運んでいた人々の足腰に痛みが発生! これは地蔵の祟りであろうと、見晴らしの良いこの場所で地蔵をお祀りすると、痛みはすっかり治まったのです。今でも腰から下の痛みには、ご利益があるのだとか。
国土の守護神・大和神社
山の辺の道のメインルートからは外れますが、せっかくここまで来たのなら、行ってみたい場所がありました。
それが「大和(おおやまと)神社」。山の辺の道は、奈良県内を南北に縦断する国道169号線の東側の田園地帯を通っていますが、大和神社は国道169号線の西側にあるので、行く機会がなかったのです。


この時期らしく、こいのぼりが風にはためいています。森の中の静かな参道(350mもありました)を通っていくと、立派な大和神社が見えてくるのですが、それはまた次回にご紹介しましょう。お楽しみに。
コメントを残す